2003年9月3日から9月24日まで
第1回目の化学治療再開から初めての外泊まで
R-MECP法による治療
1回目の治療再開へ 2003年09月03日(水)

  化学療法を3.4回しながら経過をみて、骨髄移植へという流れにしたいと、再度、主治医の説明をうけ治療スタート。転院してきたということで、こちらの病院には自前のデータがないので、データができるまでは試行錯誤するかもしれないなあ〜。
 朝、例のごとくステロイド剤を飲む。量も多いので何回飲んでも慣れない。点滴で3種類の薬品を入れる。
 私の場合、血管が細いし硬いので点滴がとりにくく、前回中止した時も腕の裏側にある血管から捕った。これがまあなんとも、奇妙な格好で捕らねばならなかった。今まで、細い細いと言われながらも地元の病院では腕の表側で採取。だから、うつぶせに寝て、手をひねったのには参った。(こんな格好で?)。主治医はそ知らぬ顔で「ここが、一番大きいから・・」と言って、小型の注射針の様なものを取り出した。私は何度も言うけど、大学病院は初めてで、ましてや入院など想像だにしてなかったので、そこでどういう風に治療が行われているのか知る由もないわけであるから、驚き驚きの連続。
 地元の病院では、大半看護婦さんがして、たまあーに医者がするので、ここのように主治医自らというのは驚き。
 しかし、医療本来の考え方からいえば、主治医自ら治療するのが、王道で、そういうことから言えば、一般の大方の病院は少し本筋から離れつつあるのかもしれないなあ。
 

今日から1液のみ 2003年09月04日(木)

   今日から抗がん剤1種類のみ日曜日まで4日間、点滴。
ステロイド剤多量に飲んでいるので、副作用でなるかもしれないので、明日、血糖値測定するとのこと。以前の病院では、そんなことするとはいわなかったよなあ。
ガリウムシンチ検査 2003年09月05日(金)

   朝、ガリウムシンチ検査する。治療開始時の基礎データにするのかな?。
 ここの機械は、寝台に仰向けに寝た 上を平面の7.80センチのパネルが足から頭へ部分的に撮影しながら連続でスライドしていくというタイプで、部分的に撮影している時間が5分ぐらいあるので、退屈極まりない。前の病院のは、パネルが体の周りを回転していくタイプだったが、撮影時間はあまり変わらなかった。だけど、これがなんとバックグラウンドミュージックがかかって、その撮影技師の好みなんだろうな、いつ行っても石原裕次郎メドレー。私には、何の抵抗もないからウットリと聞きながら熟睡させてもらってました。ここも、BG流せばいいのに・・でも、裕次郎って訳にはいかないだろうなあ。
 血糖値測定 225
 薬飲んでるからこんなもんだろうとのお達し。
私の主治医は 2003年09月06日(土)

   私の主治医は、朝が早い。8時前ぐらいから治療を始めることが多くある。私は、昔から朝早いのが好きなので、私にとってはありがたく感謝している。
 また、何事にでも待ったりするのは大嫌いなので、なおありがたい。
 てなわけで、今朝も8時前に気持ちよくスタート。
 
今日、最終日 2003年09月07日(日)

   今日で、治療薬入れるの最後。と思うと(早くおちれ、おちれ)と妙に力が入る。ずっと入れてきたのだから、平気で最終日ぐらい待てると思うんだけど、点滴の管がのくのかと思うと、これが子供のようにわくわくしてしまうんだなあ。
 昼ぐらいから、頭がボーとしてくる。血圧測ってもらう。178の92.
 夕方、点滴の管をはずしてくれるかと胸躍らせて待ってたら「炎症反応がまだ若干高いから、抗生剤続けるのでもう少しの間つないどきます。」と、主治医。ここんとこずっと炎症反応高くて抗生剤も点滴してたんだよなあ。抗がん剤終わったら全部終わりかと、思ってた私があさはかか?ガックリ!
血圧高いなあ 2003年09月08日(月)

  朝 168の90 昼 170の92 夜 158の84
しんどい。妙にだるい
 

炎症反応 2003年09月09日(火)

    炎症反応さがったので、今日の抗生剤でうちどめにするとのこと。やっと、点滴の管がぬけるかと思うと嬉しいなあ。  

約二十日ぶり 2003年09月10日(水)

   昨夜、約二十日ぶりに点滴の管がはずされたので(正確には、その内2.3日は外れていたのだが、私にとっては、ずーっと入れられているのと同じで…)、久しぶりに病棟の外に出てみる。蒸し暑く小雨が降っていたが、外のなんともいえない空気が心地よかった。
 もう地元では運動会がはじまる。末子の高校最後の運動会見に行きたいなあ。先生、外出許可くれるかなあ?
 今朝、両耳の下辺りが急に腫れたのだが、痛みもないのでたいした事ないと思いつつも、主治医が「耳鼻科へ」というのでいく。血液検査をする。担当の医師が明日から出張というので(私から見れば、遅い夏休みくさいのだが…)、2週間後結果を聞きにおいで、と。
 
肝臓の生研の結果 2003年09月11日(木)

  ずっと音沙汰なしで、気になってたので肝臓の生研の結果を聞きに行った。すべての検査結果はまだでてないものの、腫瘍は悪性でなかった。それはリンパ腫のものでもサルコイドーシスのものでもなかった。
 主治医が言うには、「これでは、治療の効果を計れないので、背骨の周りの筋肉にへばりついているリンパ腫を目安に今後、治療の効果を計っていく」と。せっかくサンプル採ったのになあ。背骨のものは、CTとMRIで判断していくとのこと。
祝一ヶ月 2003年09月12日(金)

   別にめでたいわけでもないが、ここに来て一ヶ月を迎えた。一ヶ月かかってやっと治療が始まったなあという感じ。この先どれくらいかかるんだろう。
 ずっと、ひじに痺れがあったので肘のCTを撮ってもらう。
 白血球 1,200 抗がん剤効いてきたか?
 

突然、熱が出はじめる 2003年09月13日(土)

  夜、飯食った後7時過ぎぐらいから熱が出はじめる。
久しぶりの熱である。38度を超えたので下熱剤を飲む。例のごとくトロイ解熱剤なので効かない。ドクターと主治医が来て血液検査。発熱の原因調べ。抗生剤の点滴。午後10時ごろまでに、37度付近に下がる。
こそっと! 2003年09月14日(日)

  今日は、日曜日。朝方には熱も落ち着きほぼ平熱になる。昼ごろ、妻来る。「栄養をつけねば」と、二人し てこそっと病院を抜け出して飯を食いに行く。
 飯食って帰ってきて、さあ2時の検温。
「えっ、38度もあるの?」ガックリと肩を落とす。(ひえ〜、この調子じゃどこへも行けねえな・・・・)
 夜、アイスノンのお世話になりご就寝。
昨日の熱引かず 2003年09月15日(月)

  1日中、37℃から38℃の間を行ったり来たり。夜になっても38℃を超える熱が出るので、解熱剤を飲んで寝る。
 でもなかなか効かず、いらいらするのと熱がある
主治医は夏休み 2003年09月16日(火)

  今日から、主治医は夏休み。主治医と同年代の先生が一週間診てくれる。昨日の熱のせいか、体全体がしんどい。朝、血液検査をする。
 白血球1000
昼、解熱剤のむ。例のヤツ、全然効かず。夜になっても38度より下がらず。
 白血球増やす注射をするという。腕に皮下注射。腕をおって注射すると痛くないと言われて、そのとおりに・・・。確かに痛くない。そういや、前の病院の時には伸ばしてたからなあ、痛かったなあ・・・
 熱の方は、依然として38度から下がらず、夜中1時過ぎ、ついにステロイドの注射をしてもらう。
ますますひどく 2003年09月17日(水)

  さすが、ステロイドは良く効く。朝までに3回着替えるほど汗が出て、熱も引く。抗生剤を朝晩2回点滴。
 が、またぞろ昼過ぎから熱が出はじめ、夕方には38.5度を軽くオーバー。結局、ステロイドのお世話に・・・
 これ、抗がん剤の副作用? それとも前と同じ不明熱?
 

やはり繋がれるか? 2003年09月18日(木)

  朝、血液検査。炎症反応、ポーンと上がっている。
 「ずっと入れときますか?」と、先生。やはり繋がれるのか?。抗生剤の点滴といつもの水みたいな薬の点滴開始。
 
 

熱おちつく? 2003年09月19日(金)

  昨日のステロイドのおかげか?朝から37℃前後に落ち着く、
抗生剤の点滴は続く
また抜け出す 2003年09月21日(日)

  妻と息子と妻の両親がお見舞いに来てくれたので、またもや飯を食べに抜け出す。少し調子が良くなるとこれだからなあ。
 満腹感一杯で抗生剤の点滴をうけ就寝
 

外泊できるかも 2003年09月22日(月)

  朝血液検査。 白血球 9.700
 昼、ドクターからうれしいお知らせ。「来週早々から2回目の治療始めますから、一度外泊してきますか?」
 前の病院から通算して、約2ヶ月ぶりに家に帰れることになる。うれしい。
 ごご、CT撮影
家に帰る 2003年09月23日(火)

  どうって事ないんだけど、家に入るとほっとするし、言いようのない安堵感をかんじる。久しぶりにあった愛犬は、私の手を無茶苦茶に嘗め回して歓迎してくれた。
 「やっぱり、家がいいなあ」と、妻に言うと「早く帰れるようになればいいのにねえ」。
 (本当にいつ帰れるようになるのだろうか?)
高速バス 2003年09月24日(水)

  行き、帰りとも高速バスを使う。安いし疲れないから私は、大好きである。唯難をいえば、時間が正確でないこと。鉄道と違って、ダイヤどおりにいかないのが当たり前といえば当たり前なのだが・・・・・。
 バス停で、ばったり知り合いに会う。
「えっ、まだ入院してんの?」と言われ、ガックリ。
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