2003年7月1日から9月2日
大学病院への転院と第1回目の化学治療中止まで
転院したら? 2003年07月01日(火)

    去年の夏、悪性リンパ腫となり地元の病院で手術。
その後、8回の化学療法をうけ、回復したかに見えたのだが・・・・。6月の定期検診で、「肝臓に癌ができている。再発している。 今後の治療は、大学病院でしたほうがいい」と言われ、何故かその系列の大学じゃない別の大学病院を紹介された。どちらも国立ではあるが、片方は設備が古いらしくそちらを紹介されたらしい。
 で、我が家から高速で1時間の大学病院へ。
わざわざ紹介状を持っていったのに、当のお相手の先生は出張中で代わりの先生(なんのこっちゃ!)に診ていただく事となった。若い先生である。びっくり。私は大学病院がどんなところか知らないから、若い先生が活躍しているなんて思いもよらなかったで、早々に経過説明をして、診察していただく。「ちょっと、肝臓の確認を・・・」とエコー検査。「骨髄も、採ったほうがいいですねえ・・」 (骨髄も、今採るの?)。実は、以前の病院では、一度も骨髄を採ったことがなく、話では聞くものの(痛いんじゃないの?)という、思いがつよく躊躇してしまい、「今、ですか?」とオウム返しに聞く有様。
 骨髄穿刺っていうのは、胸から採るんですねえ?。わたしゃ、てっきり背中からと思ってたからビックリ。
 胸から針を突き刺す・・・(んーん、想像したくなかったけど・・・・するのか)。女医さんがいともあっさりやってくださいました。思ってより痛くなかったけれど、胸の骨を削ってすすんで行く針の感じがなんとも気分のわるい・・・・
 帰ってきたら少し体が熱ぽかったけれど、今後の予定が少したったせいか、グッスリ就寝
 

CT撮影 2003年07月10日(木)

  今日は、あらためてこちらでCT撮影。やはり地元の病院とは違い、スピードが速い。1/3ぐらいのスピードで回っているようだ。今年2月に地元で造影斉を入れて撮影したとき気分がわるくなったので、大事をとって外来で診ていただいた先生に付き添っていただいた。その時思ったのだが、造影剤の種類が違う。地元の場合は、入れた瞬間、体全体が薬品の流れと共にカーッと熱くなるのだが、ここのは、サラッとした感じでそんなに熱く感じないし、気分も悪くなかった。単に造影斉といっても種類がたくさんあるのか。治療薬などは種類が多いというのはわかるんだけど、機械で撮影するときに使う薬品に種類があるとはつゆとも思わなかった。あおうにまりの頭の固さに苦笑いってところか。
 前回、来たとき以上の体のだるさを感じる。(はやく、入院させてくれよなあ・・・)
 医師は、次週のMRI撮影と今日の結果説明を聞きにくる様にと・・いうだけでした。
 


高熱でる 2003年07月15日(火)

  ずっと体調悪かったのだが、何とかだましだましきてたのが、朝から39度近い熱が出、いつもの病院へ。解熱剤を射ち、点滴をして、夕方熱が引いたので薬をもらって家へかえる。しんどい
緊急入院 2003年07月19日(土)

   一旦、熱は引いてたものの、体全体が熱ぽく37度前後の微熱が続いていた。その間にも、地元の病院から大学病院へ連絡していただいていたのだが、ベッドがないということで入院の話は進展なし。
 夜、9時ごろから急に熱が上がり始め39度を越す。(こりゃやばい)といつもの病院へ。緊急入院。個室しかなく個室へ。と、こうして私は、今年の2月以来、悪性リンパ腫を手術し治療していた元のびょういんにもどっていったのでした。
夜、クーラー止めるなよ 2003年07月21日(月)

  あれからずっと抗生剤の点滴をしてるものの、1日に2回39度近い熱が出る。まいる!わ。
 晩11時ごろ最初のピークで、解熱剤が効き始め1時前ごろまでに汗がドッと滝のように出て36度近くまで下がる。着替をして体の汗を拭くなどしてベッドにもぐりこむ。ってたって、ここの病院午後10時にはエアコン止めてしまう。個室でも。信じられる?このくそ暑い時に・・・・。で、暑いからパジャマのまま横になっていると玉のような汗が次から次とでてくるもんだから、またまた着替えなどを繰り返していくうち、夜が白み始める。7時前にやっとクーラーが入って一眠り。
 すると9時過ぎぐらいから熱が出はじめ、見る間に熱が上昇し始め昼前後には、39度前後に。このくりかえし。早く何とかしてくれ。しんどい。
 それにしてもクーラーかけてくれよなあ・・・
 

恩師はとなりの隣 2003年07月22日(火)

  毎日毎日、熱が出てぐったり。部屋の外へも出たくなし。依然として熱39度前後あり。抗生剤変えているようだが効き目なし。(カビ)っツウ話もあり、(なにそれ)と、思うも、とにかく下げてくれよと懇願するのみ。
 隣の隣の部屋に、中学校のときの恩師が入院されている。去年私が手術してここへ入って再会した。恩師は肺を患っており、酸素を傍らにおいて生活している状態だった。だから、家へ帰っている期間が短くここで入院生活を送っている時間のほうがとてつもなく長かった。
 恩師は、私がリンパ腫で手術し治療せざるを得ないことを心配してよくはげましてくれた。
 恩師は中学校の時の担任で、まだ若く当時確か20代だったはず。こちらも生意気盛りで結構衝突した思い出もあった。今年2月に私が退院するときには、大分体力が落ちてきていたので心配してはいたのですが、隣の隣
だから近いうちにまた・・・・
一度も声をかけれなかった 2003年07月28日(月)

  あれから依然として熱は下がらず、珠に日に一度だけ熱が出ることがあるようになったぐらいで、あいも変わらず一日2度の上昇下降を繰り返す毎日。抗生剤も頻繁に変えてるようだけどだめ。さすがにこれだけ続くと体力も消耗してきたのか、少しふらつく。
 昼飯を何とか食い終わって、外の空気吸いがてらふらつく足で廊下へ出ると、2.3人集まって何やらボソボソ。(あれっ、先生の奥さん)中の1人が確かに奥さんに見え、向こうもこちらを見たように思えたのだが、「××さん、部屋に入って!」という看護婦さんの声と共に部屋に押し戻されました。
 結局、この日恩師は亡くなられました。
 隣の隣の部屋にいながら、入院以来一度も声をかけてあがれませんでした。
 「先生、元気?」
 一度だけでも、声をかけてあげたかった。

 去年、先生と同部屋で入院生活を送った日数
    2週間
気がつかない俺が・・・・ 2003年08月06日(水)

   恩師のお葬式には出れず、あれからも2.3日高熱が続いたのですが、ついに大学病院の医師と連絡が付いたらしく、ステロイドを使うことになり、服用をはじめたところ、ここ最近、37度未満で落ち着くようになった。 
 ずっと気になっていたので、医者に外出許可をもらって恩師の家に。
 奥さんとあの時の廊下の話になって「××さん、お別れです・・」と言おうとしたのよ。と言われ(やっぱり・・・気がつかないおれが・・・)
 恩師は、私が緊急入院したときから「隣の隣は××だろ?。大丈夫かいな?声かけてやらな」とおっしゃっていたそうで・・・
 馬鹿な教え子で・・・
大学病院へ・・・ 2003年08月12日(火)

  熱が先月から下がらないまま、近くの総合病院に入院してほぼ一ヶ月。何とか熱が37度前後と従容状態に落ち着いたので、今日、大学病院に転院。大学病院に入院するのは初めてで、病棟に入るとなんとなく堅苦しい雰囲気。少し気後れしつつ与えられた我がベッドへ。
 明日からどんなことするのだろうか? 近くの病院では、『再発しているから、血液内科のある大学病院で治療を受けたほうがよいのでは・・・・』と、紹介されたものの、(再発したら、もうだめなんじゃないの?)という思いが強く、不安だらけ。今日は、担当医師にも会えず不安なままご就寝。
骨髄移植 2003年08月13日(水)

   今日、私の担当になる医師の紹介と今後の治療について説明がありました。前の病院から紹介をうけて、初めてこの病院へきた時診察していただいた先生と、新たにもう一人の先生2人で診ていただくことになりました。直接、毎日治療してくださる先生は、お二人とも若いのですが、そのうちでも若い方の医師になりました。外来で見ていただいた先生が総合的に指揮するようで、ディレクターの立場みたい。で、彼をドクターと呼び、より若い方の医師を主治医と呼ぶことにした。
 ドクターの私の病状説明と今後見通しは 『化学療法では完治が難しく、骨髄移植を目指しては・・・』と。去年、リンパ腫の宣告を受けたとき以上のショック!(なおらなあい?・・・骨髄移植?・・・)もう頭の中は、ぐちゃぐちゃ。思考回路は完全に停止し、その後は呆然とドクターの説明を聞いているだけでした・・・・
なんとかなるか? 2003年08月14日(木)

  昨日のショックの痛手が癒えぬまま、今日から治療に入ることとなった。選択肢が、骨髄移植しかないとなればそれに賭けるしかないという思い・・・。とまあ、硬く言うとそういう決意なのだが、実際は、『どうとでもしておくれ』という気分。
 再度化学治療を試みてまだ化学治療が効くのか?ということを見たいということで、化学治療開始。骨髄移植するためには、このまだ化学治療が効くのかどうか?というのが重要な要素を占めるるんだとか・・・
 早速、リツキサンという抗がん剤を、点滴。比較的治療効果が高いことと、私にとっては以前の病院では使ってなかったものなので、なおいっそう効くんじゃないかと言うことで使用。
  なんとかなってほしいよなあ・・・
急遽中止 2003年08月15日(金)

  突然、治療を中止すると朝言われビックリ。肝臓の生研をして、リンパ腫の再発ということを確定したいとのこと。前の病院で肝臓に小さい癌があるということで再発の診断を受けたのだが、それを確定したいということらしい。ただ、私の場合、サルコイドーシスという病気も抱えているので、なおさら〔リンパ腫の再発〕を確定したいということで、その生研のため一時中止となりました。もしも万が一、サルコイドーシスによる腫瘍だとすれば、全然治療法が違うらしく、今確かめないで抗がん剤治療を施すと大変なことになるらしいとのことで、納得。
 肝臓の生研は来週の火曜日に決まり。
ベッドがなかったって本当? 2003年08月16日(土)

  盆だから、病棟内の患者は少ない。この病棟は、ドクターによるとおおむね最大収容数は約40名ぐらいということでした。東西に長いフロアは真ん中のエレベーターで2分され北側にナースステーションと4人部屋の大部屋が2部屋。個室が6部屋。うち無菌室4部屋。そのほかに骨髄移植などに使用される完全無菌室、2部屋。
 南側は4人部屋の大部屋7部屋とスタッフルームや風呂、ユーティティなど。
 ベッドがないといって、ここまで待たされるのも無理ないか?ましてや、外様だからなあ
 

また、熱が 2003年08月17日(日)

  午後9時ぐらいから、また熱が出始め、解熱剤としてロキソニン1錠貰う。  

熱下がらず 2003年08月18日(月)

   解熱剤を飲んだにもかかわらず、熱が思ったように下がらず、しんどい。
効きすぎ? 2003年08月19日(火)

  今朝も朝から、38.5度あたりをウロウロしているので、肝臓の生研は中止となる。あまり解熱剤が効かないので、半錠追加で飲んだら?と、服飲。
 まあ、その半錠の効くこと効くこと!。一挙に熱は引き、汗をかくことかくこと、3回も下着を替え、ベッドのシーツはびしょぬれで、シーツを替えてもらわないといけないはめに・・・・・。で、本人は熱も引き汗もかきサッパリして気持ちよくなったのだけども、ちょっと回りの様子がおかしい。看護婦さんがどことなく落ち着きがなく、右往左往。聞いてみれば、私の血圧が計れない?のだそうで、何度も部屋を出たり入ったり。そのうち主治医も来て言うことには『血圧の異常低下で、血圧が計れなくなっているので、当分の間安静に。』ということで、ベッドに足止め。本人はいたって気分が良いものだから、何のことだかサッパリ・
もうくれないの? 2003年08月20日(水)

  昨日、夜また熱が出始め、解熱剤を貰おうとナースコール。ハイハイと持ってきたのが、ロキソニンじゃなく、違う解熱剤。前回、薬が効きすぎたようで別の解熱剤にしたらしい・・・。ところが、この薬が効くの効かないのって、たいへんなものでとにかく効きがトロイ!。「ねえ、前の薬持ってきてよ」と懇願するも、どこ吹く風よとばかりに、知らんぷりされ、泣く泣くそのトローイ薬で我慢するハメになりました。もう2度とあの薬はくれないのだろうなあ・・・・  

ステロイド 2003年08月21日(木)

  依然として、熱は上がったり下がったりしてしんどい。今日で熱が出はじめて5日。新しい解熱剤もイマイチ。
で、ステロイドの薬の入った注射を打ってもらう。誰が呼んだか『魔法の薬』。あっという間に平熱。
風呂入って・・・ 2003年08月22日(金)

  いったん熱が引いたので、今日は風呂に入ることにした。10日ぶりぐらいだったので、非常に気持ちがよかったのだが、以外に風呂は体力を消耗さすものか、夕方ごろから熱が出はじめ結局、ステロイドを打つハメに・・・・
結局・・・・ 2003年08月23日(土)

  昼ぐらいまで、熱が下がっていたのがまたぞろ、夕方には、発熱。またもや、ステロイドのお世話になる。
新記録かな? 2003年08月26日(火)

  今日で、3日間熱でず。このまま、行ってくれるとありがたいのだが・・・  


視野検査 2003年08月27日(水)

  朝、眼科へ行く。視野検査するも、相当悪く医師の話を聞くたび、落ち込む。ここずっとサルコイドーシスの関係で目の調子が悪く、解っているものの悲観してしまう。
 眼科の診察室の冷房がよく効いていたのか、待ち時間が長かったせいか、帰るなり熱が出はじめ、久しぶりにステロイドの世話になる。
 

不明熱? 2003年08月28日(木)

  入院して間もないころ骨髄の検査、別に以上がなかったのこと、少し安堵する。
 朝、肝臓のエコー検査をする.度重なるステロイド剤の使用で、肝臓の中の腫瘍が小さくなっていた。
 夕方、妻来る。主治医から不明熱の説明をうける。『近々、不明熱の判断をしないといけない』との、お達し。リンパ腫によるものか、あるいはサルコイドーシスや感染症によるものか?できれば確定してリンパ腫の治療に望みたいということでした。
肝臓の生研 2003年08月29日(金)

  結局、腫瘍が小さくなったものの、リンパ腫の確定診断のため、肝臓の生研を改めて使用ということになり、肝臓の専門の先生に、できるかどうか診てもらった。『小さいけれど大丈夫』ということだったので、カミサンにこの説明を受けに来てもらった。生研は来週月曜日と決まったが、周りの皆に聞くと、結構痛いらしく不安....
見舞いに来てくれるものの・・・ 2003年08月31日(日)

  妻の実家のお父さんやお母さんなど親戚連中が大挙してお見舞いに来てくれるものの、4人部屋の小さいスペースでは、座る場所どころか居る先もないぐらい溢れかえってしまうので、ナイショで近くのレストランへ移動。久々に病院食でないものを食べて一人満足。  

今日は、肝臓の生検 2003年09月01日(月)

  今日のメインイベントは、肝臓の生研。付き添いはいらないといわれたのだけど、初めてなものでどことなく不安なので、カミさんに付き添ってもらうことにした。50男がいやあお恥ずかしいことで・・・・
 2.3日前から、周りの人が『あれは、痛いよおお痛いよおお!』と散々脅されていたから、こちとらはビクビクもので検査に望んだのですが、意外や意外、あっけにとられるぐらい簡単であまり痛みも感じませんでした。
検査した肝臓の専門の先生が大変上手だったんでしょうねえ。とはいうものの、検査に移る前のテストでエコー見ながら『ここのラインがいい、とかあれがいい』とか言いながら刺す位置を決める作業が長く、こちらは上半身裸のままだからまた熱でもでやしないかと、気もそぞろで「早く始めてくれないかなあ」と思うばかりでした。後で聞くと、あの作業が一番大事で、あれで刺す位置と肝臓までのラインを決定し、本番に入るのであれが一番大事なんですよと教えられ、準備段階の重要度を知りました。
 この日は、医学部の学生さんも7,8人見学しており、処置室は、先生方数人看護婦さんとでごったがえしておりました。検査は、横目でチラッツと見た限りでは、エコー検査するスティッツク状のものの代わりに、ひと周り大きいもので中心付近に何やら針のようなものが着いているモノでするようでした。どんなにするのだろう?針をどういう風にするんだろう?とあれこれ考えているうちに、『はじめます』との声。右わき腹付近に麻酔、そして程なくして針の付いた器具が押し付けられた。『ハイ、動かないで、イキマス!』の声と共に何やらパンという乾いた音。(えっ、撃たれたの?)。そう、それは水中銃のような物でした。針が腫瘍を捕ってもどってくるなんて、まさに水中銃のようなもの。『うまく採取できましたからね。』と、都合3回採られました。
 肝臓から出血があるといけないので、上を向いたままベッドで安静。そのために、カミサンに付き添ってもらっていたのだが、当の本人は検査の道具の面白さをうれしそうにしゃべるもんだから、カミサンは呆れかえって「もう帰るわよ!」とのたまう。そうこうしているうちに、尿意をもよおしてきてしまう。(うーん、まだ2時間余りある・・・・) 看護婦さんが、尿器を持ってきて「上を向いてねたまま、これを使って!」と、おっしゃる。(上をむいて寝たまま、尿器の中にする?。そんな事できるわけねえだろ?どうするのよ・・・)と、看護婦さんが「両足の間に尿器をはさんで、それに入れればいいのよ」とやさしくおせーてくれる。でも、尿意はもよおすものの、なかなか出ないんだよなその中には・・。「なかなか、でないなあ〜」「じゃあ、管入れますか?」の声とともに、ジャーっと勢いよくでたのでした。
 
明日から、仕切りなおし 2003年09月02日(火)

  昨日の肝臓が少しチクチクとはするものの、体調は比較的良好。昨日、生研の後、明日から治療を再開するといわれる。やはり、骨髄移植を前提としての化学療法をするということでした。ゆううつ・・・・。他に、方法はないのかねえ?