2004年5月19日から7月10日
自家抹消血幹細胞移植から退院まで

no.10
妙に疲れている 2004年05月19日(水)

  ★ 最近の天気予報、当たらずとも遠からずで予報に近い状態になるので少しは当てになるようになった。精度が上がってきたのか、勘がさえてきたのか・・・。
 朝から曇りがちの空から雨が混じる。どう云うわけか昨日帰ってきてから、疲れがひどくずっと布団にもぐりこんでいる。さほど熱があるわけでもなく、どこが痛いわけでもないのだが、倦怠感がひどく、ふくの相手もする気力も乏しく・・・・・・。

▲ 昨日の血液検査の結果
  白血球 6800:HGB 10.4:血小板 10.8
  BUN 15:CRE 1.0
主治医が結果知らせてくれる。ありがとうございます。

★ 昨日で放射線の治療終了
  放射線の先生の話によると。
  放射線の治療の効果はすぐに現れるわけではなくて、しばらく時間の経過を経て現れるとのこと。当てて2週間後くらいから収縮が始まるのではないのかな?という説明。
 つまり、昨日のCT撮影の結果には、反映してないかもしれないという含み。
 「どちらにせよ、ほぼ予定通り移植はします。」と、ドクターが言っていたので、昨日のCT撮影は、事前確認の意味が強いのかもしれない・・・。

◆しかし、それにしても昨日、今日とも、だるいし眠たい。。寝る・・・・

AM 1100

★ pm9:00前に、目が覚める。どうしたんだろう?。昨日、今日といい際限なくねむれる・・・。
これだけ寝たんだから、夜は寝れないだろうと思うが実際はそうでもなく、また朝まで寝れるだろう・・・・。
眠たい。寝る・・・・

pm9:00
今日も雨 2004年05月20日(木)

  ▲ 今日も朝から雨。昨日も満足に散歩に連れて行ってないせいか、ふくの機嫌がわるい。呼んでも見向きもせず、ごろごろ寝ている。私も、何故かわからないけどけだるさがひどく、動く気もせずふくの横で同じようにごろごろしている。こんなんでいいのだろうか?。

am11:00

★ 身辺整理という訳ではないけど、カミさんに「今のうちに自分の部屋とパソコンのパーツやガラクタ片付けてよ」と、4.5日前から言われていたので、しぶしぶ昼から片付けようとして、とりかかったら、次から次と捨てられそうもない物が出てきて、「迷うなあ・・・」。
 結局、片付けは遅々として進まず、持続力に欠ける私には荷が重かったようで早々に中断。引っ張りだしてきたパーツをああでもない、こうでもないといじっていたら、カミさんが「ええかげんにしないと、全部とばすわよ!」と、すごい剣幕。
 「・・・かたづけてるだろ・・・」「どこが?」「・・・・」「明日には、片付けるから・・・・」「片付けてなかったら、とばすわよ!わかった?」「・・はぃ・・・」
 カミさんの場合、脅しでもなく本当にあっさりと言った事は実行する。有言実行である・・。(笑)ん?笑い事ではない。今までにも、いつの間にか忽然とものが消えてることが何度もあるから、最終通告を受けたときには、十分気をつけてないと・・・・・。とほほ・・・

pm6:00
 
久しぶりの快晴 2004年05月21日(金)

  ★ 久しぶりの青空。やっぱり朝日の光を感じると、起きる気がしてくるから不思議、久しぶりに6時過ぎ、ふくを連れて散歩。
 ふくも久しぶりなのでうれしいのか、例のごとく、あっちへフラフラこっちへふらふら、で珍しく1時間近く引っ張られる。
 「ああ・・、今日の仕事終わり・・・」とカミさんにふくを渡し、またぞろ布団の中に・・・。
 (だってあんた、1時間も散歩されてみ、疲れて疲れて・・。ん?犬の散歩で疲れるな!って。。一応、これでも病人なんだぜ!ぜいぜい・・しんど・・)

 AM11:00
頭を剃る 2004年05月22日(土)

  33,541 byte★ 再入院が近くなったので、頭を丸めたほうがいいだろうと散髪屋へ・・・。
 薬が切れたら、髪や髭の伸びるスピードが以外に速く、ついこの間まで丸坊主に近かったのが、禿山に植林したごとく一度にバッと髪が現れ違和感を感じる風情・・・。慣れというのは恐ろしいもので、もう半年以上も禿頭でいるとそれが自分の顔と無意識に思っているのか、いざ髪がある頭というのを鏡で見ると奇異で笑えてしまう。以前に、やれ髪が薄くなっただの、白くなっただのと不平不満をぶちまけてたのがうそのよう・・・。
 で、早めに植林したような頭を丸めたほうがいいだろうと、午前中に剃ってもらいに行く。さっぱりと剃ってもらい帰ってくると、ふくが妙な格好で寝ていたので、パチリ。。
明日からが・・・ 2004年05月23日(日)

  ★今日、五月の第4週は、毎年町内の掃除の日。今朝は、曇り空なのでたいして暑くもなく、掃除にはもってこいの日和である。
 この日は、毎年バレーの市長杯の日でもあり、例年どおりなら今年も、カミさんは小躍りしながら出場しているのだが、今年は私の病気があるので欠場。例年なら、汗を拭き拭き、私が掃除をしているのだが今年はカミさんが、あっちのおばさん、こっちのオバサンとだべりながら掃除を・・・・・。ん?手が動いてるのかな?。
 私も、ふくを連れておつきあい。がん患者がそんなことをしていいのか?って。・・・よくわからなーい・・・。

 去年も掃除したんだけど、よく考えてみれば再発直前。かんかん照りの元掃除したっけ・・。
 以外に病気に対する切実感がないというか欠けてるというか・・笑ってしまう。

am10:00

▲明日からが正念場。
明日、再入院。移植に向けての入院となる。いったい自分の先行きはどうなるんだろうと頭の中だけは深刻そのもの・・・。そのくせやってることは、のんきなものでTVゲームや病院に持ち込むDVD作り・・・。
 これって何なんだろう?。やっぱり不安感からくる一種の逃げなのかなあ・・・・。

PM10:00
 


えっ、主治医が転勤? 2004年05月24日(月)

  ▲今日の予定
 再入院

★再入院してみると、頭をおもいっきり金槌でしばかれたような衝撃を受けることがおきていた。なんと、主治医が転勤していた・・・・。
 ふつう、そんな事があるか?移植を目の前にして、ずっと面倒をみてくれてた主治医が転勤になるか?・・・。・・なるんだろうなあ、大学病院というところは!。なんというショック!・・・・・と、初めて聞いたときは、相当な衝撃で面食らった。
 ただそれを知ったのは、大分前のことで、ご本人から、告げられた。彼も、非常に残念そうだったのだが、まだ公にしないで欲しいということだったので、彼の後がどうなるのかという心配とともに、今日まで口にチャックをし、伏して時が経つのを待ったのである。だから、帰ってきて主治医がいなくなっているのを知っても、最初のようなショックはなくそれより、一抹の寂しさを覚えた。
 彼には、この日記に常連のようにというより、レギュラーで登場してもらってたから、本当のことを言うといなくなったのは、治療のほうでも痛いがこの日記にとっても痛い。大体この日記を書こうと思ったのは、闘病という本来の目的以外に、彼とのやりとりが面白く、行動も少しユニークだったので、日記そのものに大きなアクセントを付けてくれるだろうと思ったからでした・・・・・。
 とはいえ、もっと大きく成長するためには、外の病院へ行くのが当たり前なのだから仕方のないことなのだろうなあ・・・。がんばってきてもらいたいものだ。
 ところが、面白いというか、ショックなことが続くというか・・・・
 昼過ぎに、挨拶に来た医者がなんと今年医者になりたての若者・・・・。研修医というより、まだ”ケ”にも・・・だぜ。。

 (えっ、彼が主治医・・・。うそだろう?)
 ブルーになるどころか、飛んでしまった・・・・・

pm 3;00

◆私は、基本的には無宗教なのだが、移植の日が決まったら・・・といっていた親戚の叔父さんと叔母さんが、私が氏子の神さんのお札を、お百度を踏んでいただいてわざわざ持ってきてくださった。こういうお札をいただくのは、本人にあまり近い人間はだめらしく、以前から何かと心配してくれてた叔父さんと叔母さんがしてくれたのである。そのお札は、かれこれ7.80センチはあろうかという大きなもので、病室におけば、大変目立つものなので、少し高い位置に上げて祭ることにした。
 「こういうものを見たら、医者はあまり良い気分しないかもしれないから・・・・あまり目立たないところにさらりと置くほうがいいんだよ・・」と、叔父が言うので、少し高い位置に置いて置くことにしたが・・・・。
 「お札は、出して欲しいんだけど・・・・」と叔父。
(当たり前と言えば当たり前の話で)ふとお札を見ると袋に入ったまま。(でも、出すのを少し躊躇したのは、否定できないなあ・・・)
 あわてて、お札を出して祭る。
 (効いてくれよ!)と思わず祈る。
 (こういう時だけ神頼みというのは、不謹慎かなあ・・・)

◎ 転勤した主治医のあとの面倒をみてくれる先生が挨拶に来てくれる。
 前の主治医が、アルバイトでいない日は今度の先生がフォローしてくれてたので、そういう意味では、ほっとする。
 で、ドクターはそのままでいてくれるので、まず安心。


▲美人薬剤師との会話
 今度の治療におけるうがいについて説明を受ける。
 まちがいなく起こるであろう口内炎について、その予防と対策には、うがいをするのが一番なので、こまめにしようという話になったのだが、どうも話が食い違う。
 よくよく話を聞いてみれば、私がしている「うがい」と彼女のいう「うがい」では、大きく単位のずれがあった。わたしはコップ一杯に、イソジンの原液1目盛りと思ってたのが、なんと60ccぐらいの水に1目盛りだそうで、聞いて唖然・・・。よく効かすには、それで2目盛りだそうで・・何をか況や!。どうりで私のイソジンは長持ちするはずだ!。
 なんと、そのうがいの仕方で、はや10ヶ月・・・・。ああ、なんたるこっちゃ!
 ・・・でも、その薄いうがい薬でいままで効いてるのはなぜ?・・・
 (そりゃあ、効いてるんじゃあねえよ!。たんにそういう病気になってないだけ!)
 という声が聞こえてきそうだなあ・・

pm10:00


賽は投げられた・・・ 2004年05月25日(火)

  ▲今日の予定
 第2内科受診。心エコー。IVH.

★心臓の具合を診てもらう.
エコーの結果は、異常なしということで、第2内科の診察も終わり。帰りに、外来に降りた看護師にばったり会う。心臓の話をすると
 「じゃあ、あの何回かあった胸の痛みは何なのよ!。エコーもしたんでしょ、それで異常がないのだったら、心臓は大丈夫よ!」
 と、暗に目が私を非難しているような・・・・。
 でも、その時は痛かったんだよ・・・・と言っても説得力なしか・・。

◆昼飯後、IVHを入れる。例のごとく首から点滴の管をいれるヤツ。ついに、移植への第一歩を踏み出すこととなった。
 いつもなら、前の主治医がするのだが、転勤でいないので、ドクターがしてくれることになった。一安心である。
 とにかく、上手いという以外に表現のしようがないほどドクターのIVHは手馴れたもので、レベルの差をまざまざと感じさせられた。全然痛くないし、時間もかからずスムーズ。やっぱりドクターはすごい!

 前任者と一緒にこちらも痛いのを我慢しながら入れてたのは、なんだったんだろう?

★新人の研修医との会話
 「あなたが、私の主治医になるの?」
 「私を含めて3人が主治医になるんです」
 「えー?なにそれ?」
 「3人体制で××さんを診ているので・・・」
  (でもそれはないだろう・・・3人が同格なんて・・)
  「で、あなたいつまでいるの?」
  「6月一杯です」
  「えっ・・・・?」
  またまた、飛んでしまいました。

△私の幹細胞移植のページをOPENしたので見てください。

PM7;30
 

本番スタート 2004年05月26日(水)

  ▲なぜか、IVHを入れた途端寝られなくなった。ここんとこ、入れてなかったから違和感が、多少なりともあるので無意識に気になって眠られないのかもしれない・・

 am 0:30

★昨日の夜、移植チームと称する看護師さんたちと顔合わせをした。ほとんど顔なじみの看護師さんばかりで、ほっとする。わざわざ、私のために集まってくれ、勉強会もかねた顔見世のようだった。ありがたく非常に恐縮する。自分の知らないところで私をサポートするために働いてくれてるのかと思うと、感激のあまり胸がつまる・・・。
 am 1:30



◎今日の予定
 移植前 8日目

 リツキサン600mg サイメリン320mg 投与

 体重測定 1日2回 10時。17時 移植日まで毎日
 うがい一日8回(イソジン、ファンギゾン)治療終わるまで。

am6:00

◆今朝から本番開始。
 新人の研修医が、リツキサン投与前の前処置にとりかかる。吐き気止めを注射で点滴の管の途中のゲートから入れるのであるが、緊張感ありありで、手元がおぼつかない・・。彼は左利きなのに、右手主導の動きでしていたが、わざわざそんなことをする必要があるのかねえ。。
 久しぶりに緊張感のある場面に遭遇した気持ち。偶々、ドクター、前から知っている主治医、新人の研修医とベッドの周りを3方向から囲むように立てっていたので、ベッドにねている私からは、その構図とその雰囲気がおもしろく(失礼だよねえ・・)、おもわずニヤリ


 リツキサン投与後、眠いので寝る。昼食前に起きる。
 今までより睡魔はなく、目がばっちり冴え渡る。
 点滴の落ちが悪く、ポンプをつける。

12:00の体重 59.1 kg

pm2:00


★3時過ぎ、サイメリン投与。
 おしっこの出が悪いということで、ヘパリン入りソルテム3A 1.5L(24時間)、生食1L(24時間)入れることとなった。
 (ゲッ!トイレばっかりかよ。トイレ詣でだな、こりゃ・・)
 PM4:00

▲PM5:00の体重 59.1k

ドクターが来て
 「腎臓の此間の数値のこともあるし、まだ宵のうちだから、打っときましょう」
 「リニョウザイ?」
 ということで、治療初日から利尿剤を打つ羽目に・・

pm6:00

★1日8回のうがいの6回目を、ガラガラをしていると研修医がきて、「1kも増えてるから、利尿剤をということなのですが・・・・」
 「えっ、1kも増えてねえよ・・・5、600だよ!」とイソジンを吐き出しながら、憮然として言う。
 「うがい終わったら、部屋で・・・」と彼は、出て行った。
 うがいが終わったので、部屋へもどろうと廊下に出ると、研修医がなにやら今日の担当の看護師と話している、
 「どうしたの?」「あっ、1kじゃなく640ですね」
(細かいねえ・・・)と、私に確認すると、すぐさま、彼は看護師に「看護婦の△△×さんに、この事いっておいて!」と言ったのだった。
 おもわず私は彼女の方を見ると、彼女もいぶかしそうに研修医を見ている。
 「△△×さんなら目の前にいるじゃない。。」と、私。
 「えっ!△△△さんなの?」と研修医。「△△×さんなら目の前!」とおもわず彼女と顔をみあわす。
 「△△△さんと聞いたから・・・」と研修医。
 (あのなあ・・・・・本人目の前にして・・・どこで△△×から△△△に変わるんだよ・・・)

ただ、10ヶ月あまりいる私ですら、マスクをした彼女らを見まちがえることがあるので、研修医が勘違いしても不思議はないけどねえ・・・・・

pm7:30





電光石火! 2004年05月27日(木)

  ▲今日の予定
 移植前7日目
 パラプラチン450mg 投与


★ 今日も、目がさえて眠れず。今のところ吐き気もなく、大した倦怠感もなく順調にきている。ただ眠れない・・。

 am3;00

▲吐き気止めを注射後、パラプラチンの投与。am9:00治療開始。11時過ぎ投薬終了。

△3時過ぎ、点滴の生食とヘパリン入りソルテム3A追加交換。今日は昨日より500少ない。両方とも 1Lずつ。これは、順調におしっこが出ている証拠と喜ぶ。

◆AM10:00の体重 59,75
 PM:17:00の体重 59.55 200gの減少

夕方、体重を計った後、ドクター
「昨日、利尿剤打った後相当な回数と量、出ましたか?」
 「すぐは、出たけど回数もそんなには・・・・」
 「じゃあ、打っときましょう!」
喜んだのもつかの間、利尿剤を今日もまた打たれるはめに・・・・。
 (また、寝られなくなるかもなあ・・・。2Lの水入れられて利尿剤なんか打たれた日にゃあ、1時間に1回はトイレ詣だよ。あああ・・)

★午後、シャワーを浴びた後、IVHを入れているところをプロテクトしているシールを張り替えてもらおうとナースコール。来てくれたのは、移植チームのベテラン看護師。
 私は、シールとかテープにまけやすく、皮膚がすぐ赤くなったり、薄皮1枚めくれたりよくする。顔に似合わず、肌だけはデリケートなのだ。
 んな訳で、今回もまだ3日目だというのにシールの辺りが、痒くなっているのである。看護師さんは手際よくシールをのけ、患部をイソジンで消毒し、「シールの種類変えてみましょうか」と後から来た看護師に指示をだし、彼女が帰ってくるのを待つ。
 「まだ痒い?」と、看護師。「この辺が・・・」と言いながら指を首の患部に持っていこうとした瞬間、私の指は彼女の手に、グイとつかまれたのでした。早い!恐ろしく早い!電光石火の如く彼女の手は動いたのでした。
 (さすが、小児科あがり・・・・)
 「ふう、危ない危ない。もう一回消毒しなおすところだったわ・・」と、彼女は涼しい顔で言った。

 (50すぎの男と小児科のガキとじゃあ、おっさんの方が扱い易いわなあ・・・・。でも、俺もどんくさくなったなあ・・・)

PM 9:00
ん、繋がってない・・ 2004年05月28日(金)

  ▲今日の予定
 血液検査。
 パラプラチン450mg。ラステット800mg。

★昨日より多少は睡眠がとれてる・・・。体がトイレに行く時間を覚えてしまったのか、大体2時間おきに起きれるようになったから、その間多少なりとも寝られる。。

  am 5:00

◆昨日と同じく9時ごろ、吐き気止めを注射後、パラプラチン投与開始。
 今回のラステットの量は、いつもの量の5倍ぐらいとか・・・・。

 am10:00

★ラステットは、11時スタートの予定。
 ラステットは原液でポンプを使って送り出し生理食塩水と混ぜて希釈して血管に注射というシステム。

 11時過ぎ、ばたばたと慌てて新人の研修医が入ってくる。
 「すみません、遅れて・・・。今から始めます。」
 「遅れてる?」
 「はい、2分40秒ほど・・・」
 (相変わらず、細かいねえ・・・)

  「では、生食からスタートします!」と、研修医は高らかに宣言をし、スイッチを入れた。生食もラステッドにあわすため、電動ポンプで送っている。
  ピッという音とともに駆動音が入ったかと思ったら、すぐ切れて止まった。
  「あっ!、スイッチ間違った・・・・」
 (おいおい・・)
  「今度は。。。。」無事始動。次はラステッド。

 「えーと、時間13mgだから・・・ではスタート!」とスイッチを入れる。顔に、ほっとしたような安堵の表情が見える。
 すると、先ほどから居合わせた美人薬剤師が
「ねえ、それルート繋がってますか?」と研修医に。
 「えっ!・・・繋がってない?・・・あっ、つながっ・・・」
 うろたえながら彼は、ルートのジョイント部分を確認して、慌ててポンプの電源を切る。
 笑い事じゃないんだけど、大笑いするしかない。美人薬剤師はと見ると、目に涙をためて笑っている。
 「ドクターが、繋ぐといったから・・・」
(あのねえ、人の命を預かる仕事なんだから、自分で確認しないとアカンやろ!。ひとに責任転嫁するなよなあ・・。偶々、彼女が居合わせて発見してくれたから、よかったものの・・・)

 結局、看護師さんにセットしてもらい、研修医は確認スタート。無事始動。。

pm12:30

★2時過ぎ、ラステット投与終了。さすがにちょっと応えたのかしんどい。倦怠感もあるので横になる。

血液検査の結果
白血球 5,200 HGB 10.8 血小板 75000
CRE 1.4 BUN 14

やっぱり腎機能が落ちている・・・

先ほどから気分が悪い・・吐き気が少しあるのかもしれない。今まででは、はじめて・・。やはりきついのか?

PM5:00

★6時過ぎ、急に熱上がる。37.7度。寒気する。しんどい・・・

pm6:00

▲熱38.8ど。寒気収まらず、間接痛い。吐き気ぶり返す

pm7:00

▲研修医に、熱ざましのソルコーテフ 50mg打ってもらう。私が笑った研修医に打ってもらう。世の中ってそんなもんだ・・
 もう今日は書けない
 

今日はどうなることやら・・・ 2004年05月29日(土)

  52,190 byte★38.8度より熱が下がらず、午後9時過ぎに再度ソルコーテフを打ってもらう。夜中近くになって少し下がり始める。朝方、37度近くまで下がる。しんどい。体もほてりぎみ・・・・。夕食、朝食ほとんど食べれず。

am 8:30

▲移植前5日目
 予定通り、昨日と同じメニューで、9時治療開始.
少ししんどいけど、昨日の夜よりまし。

吐き気止めの後、パラプラチン投与。10:30終了。
体重 59.4

11:00より ラステット投与。
昼食あまり食べれず。倦怠感ひどい

PM0:30

昨日と比べて思ったよりダメージは少ないようだ。ただ昨日のしんどさが尾を引いてて倦怠感は、ひどい。
午後3時の点滴の水交換には閉口する。おしっこに1時間ごと行かねばならない。その上、うがい。口内炎対策と正規の8回のうがいをしなければならないので、ベッドに横になる暇がないほど忙しい。
 この、時間に終われる忙しさって、なんだろう?。不思議だなあ・・・。本人がイロイロ行動しなければならない治療ていうのは、考えてみればおもしろいよなあ。リンパ腫なんて元気でなければ治療できないのでは・・・と考えると、思わず笑ってしまう。

◆すこしパワーが戻ってきたので、3時過ぎシャワーを浴びる。意外と疲れがないので一安心。
 午後5時の体重 変わらず。6時過ぎの検温 37度
 今晩は、なんとかもってほしい・・。二晩続いて熱が出た日にゃあ、替えの下着が無菌室に全部持っていってるので着替えができないのよねえ。辛

★月曜日に無菌室に移動することになったので、移植チームのチーフ看護師 Mt.HOMEさんに日課表等作ってもらったので「無菌室での生活」というページをOPENさせました。

 しんどいのにようやるわ! 我ながらあきれるわい!

 PM7:00

◆電気を消して寝ようとしたら、耳元で嫌な音「ブーン」。(げっ、蚊かよー、いや、まだ早いやろ、出るのは・・・)
 そこへ新人看護師が点滴を見にやってきた。
「蚊がいるかもしれん・・・。空耳かもしれんけど・・・」と自信なく私。
 「えーホントですか?」と周囲を見回していた彼女「いました、いました蹄鉄さんのあごの辺り・・・」
すかさずあごの辺りを叩くも手応えなし。
 「ベープかなんかあるか聞いてきます」といって彼女は、聞きにいったものの「すいません、ないそうです」とすまなさそう。「ねえ、窓開いてない?」と私。
「・・・・開いてます。ああ、網戸もせず大きく開いてます。」と彼女は、さっさっと窓を閉め「こうなったら、捕まえましょう。」と言う。
 (でもねえ、もう1匹や2匹じゃないと思うけどなあ・・)
 「まあ、俺の血を吸って、抗がん剤で蚊死ぬかもな・・」と、冗談めいて私。
 「どうやっても血管までは、届かないですよ!でも、明日の朝、蹄鉄さんの周りに、5,6匹死んでたら面白いでしょうね。」
 (蚊、抗がん剤吸って死ぬ!か・・。なかなか切り返しが早い新人やなあ)

 昨日は熱で、今日は蚊だって! また、寝られねえなあ!

pm9:00
体調悪く 2004年05月30日(日)

  ▲今日の予定
移植前4日目
 パラプラチン、ラステット投与

★今日は、昨日より調子悪い。朝から吐き気があるし下痢も3回ほど。昨日調子よかっただけに、きつい。なんでこれだけギャップがあるんだろう・・・
 am8:00

▲とにかく、体に力が入らない。ベッドに座ると吐き気がひどいので必然的に横になる、昼は、全然食べる気がなくパス。メニューはそんなことお構いなく消化中!

pm 1;00

★飯が食べられなくなったので、栄養剤入り点滴に。24時間で1.7L。吐き気が強くなり今にも吐きそうなのを辛抱する。胃から食道にかけてもやもやした感じで、すっきりしない。熱37.4度。
 水分の点滴、24時間で5L弱。まいる・・・・。
 昼からほとんど横になっている。
 カミさんと娘、無菌室へ入れる荷物持ってくる。

PM5:00

▲初めて、吐く。食べてないから胃液しかでない。しんどい。熱37.8度。上がり気味・・・。今日はもう書けない・・・・。
無菌室に入るも・・ 2004年05月31日(月)

  朝、シャワー浴びて無菌室に入る。昨日からの吐き気に悩まされ、体調は最悪。
▲今日の治療予定
 サイメリン、エンドキサン3000mg 投与
その他、検尿が4時間おきにあり、この弱った体でついていけるのだろうか?と不安。
エンドキサンの量が相当な量らしいので、どうなることかとドキドキもんで。治療開始。
 やはり、吐き気はおさまらず結局また吐いてしまう。胃液しか出ないから、しんどい。食べてないのに下痢気味・・・。
 pm2:00
今日で化学療法最終 2004年06月01日(火)

  ★昨日は一睡もできず今日は意識朦朧。吐き気はひどいし、尿量は計らないといけないし、その上検尿が4時間おきにあるあるから、健康体でもなかなか寝られないだろう。まして、エンドキサンのキツイ抗がん剤を入れた後だから、動くのもしんどいのに・・・・。

▲今日は、化学治療の最終日。昨日と同じエンドキサン投与のみ。とはいえ、昨日の事があるから心してかからねば。
 

いったいどうしたんだろう 2004年06月02日(水)

  ★今日は治療の中休みなので、体力の回復をと思ってたのが、しゃっくりが酷く寝られないし落ち着かない。手を変え品を変え試すのだが一向に収まらず、夜9時過ぎ軽い吐き気止めの入った睡眠剤をのんで寝た。
 11時過ぎぐらいだったろうか・・やおらベッドから飛び起き、点滴台を引っ張りまわし、挙句の果てにIVHを引き抜こうとし、体に張っている心電図のコードをのけ、首のIVHをつかんで始めての痛さにわれに返ると、下半身に冷たいものが・・・。おしっこにいきたかったのだが、意識もうろうとしてすごい行動に出たようだ。無菌室の便器ではなく、何にもない床の上に勢いよく放尿・・・・
 昨日と同じように薬をもらって寝て起きて、便器の前に立ったまでは覚えているのだが・・・・

◆ドクターが駆けつけてきて「IVHは大丈夫だけど・・いろんな所きずつけてるなあ・・、明日の移植は・・・なんとか・・」と言いながらも、明日の移植はできるように追う有処置をしてくれた。

 私は、睡眠薬を飲んだのがこの2日間が初めてなので、プレッシャーで幻覚症状をおこしたのか? ただ、単に寝たボケたのか・・・。

 しかし、首から胸にかけてはヒドイ状態で,無数のひっかっき傷が皮膚をえぐっており痛いの何のって・・・・・。呆れ顔の看護師が胸を包帯で巻きながら(できるのかしら?)と言いたげ・・

 でも何とかいけそうだからよかった・・・が首の周りと胸周りは、看護師さんにプロテクト用の包帯をむち打ち症のように巻かれてしまった。とほほ

PM1150
今日移植日 2004年06月03日(木)

  ▲朝起きたら。体の節々という節々が痛い。昨日の晩相当ぶつけたのかもしれない・・

 ★今日の予定
 9時 ステロイド投与
 11時 移植開始

◆顔の色が、2,3日前の真っ赤な色からどす黒くなっている。


★午前9時から面会室に妻と親戚をむかえ前処置スタート。3人が揃う。ドクター、前から知っている主治医、新人研修医。ステロイド3剤 投入。最近は、ずっと前処置あたりは新人研修医が一人でやっている、
その後、11時より本番の幹細胞移植。
 最初、ドクターが80グラム入りの幹細胞を軽々しく持ち上げ「これですよ! 6パックあります」といって手際よく、点滴するようにルートにつなぐ。そして幹細胞の入っている袋(ちなみに色は血の色)を丸めるようにして搾り出していく。早くいれないと幹細胞がだめになってしまうかららしいので、手で絞るこのやり方が一番いいらしいとのこと。・・・・最先端の医療で原始的やり方。くすり!と噴出したくなるような光景・・・・ 新人の研修医が2本、前から知っている主治医が3本いれて終了。あっけない、全然想像してなかった幕切れ。
 ドクター「無事終了しました。」
 2時間弱であった。

★夕方まで下痢ぐらいで比較的順調に推移してたのだが晩方、熱が出始め9時過ぎには、38度を越すようになっていたが、一度は飲み薬で熱は下がったのですが・・・・。夜中の2時近くになり震えがで、瞬く間に39度を越してしまいました。またその頃になると下痢も頻繁に出るようになり、最悪の状態になってしまいました。
 

移植後1日目 2004年06月04日(金)

  ★野次馬の大半から、移植した日に熱が出ることはほとんどないだろうと聞いてたから、熱が出たのはショックでした・・・。

◆2時前から出始めた熱を下げるために、3時前にソルコーテフをうって貰う。
 下痢は断続的に続き、便器を立って1mぐらいしか離れてないベッドへ帰ったかと思いきや便意が・・・・。もっと酷いときには、パンツ上げたかと思いやすぐに下げる始末で、しんどいのを通り越して腹が立ってくる。
 で、出てくる便は、ほとんど水状のものばかり。当たり前といえばあたりまえ。食べてないんだから。
 研修医が、説明してくれる
「下痢は、前処置の抗がん剤の影響でしょう」

▲ 今日の予定
 血液検査 
 白血球 300 HGB 8.9 血小板 9000
BUN 27 CRE 2.3:GOT 89 : GPT 41 :G-GPT 117

 昼から、血小板を輸血する。

◆ウォシュレットでお尻を洗うたびに、浸みて肛門が痛くなり隠れていた痔も姿を表して、痛いの何のって・・・経験者じゃないとわかりません?・・・・
 ましてやここのは、消毒液入りだからなおさら痛い。

★夕方、また熱で始める。今度はポンタールを止めてソルコーテフを使うとの事。腎臓に負担がかかるようだからと。 
 



移植後2日目より体調は急変。最悪の状態になりました。数値的にも悪い状態が続き、この期間10日あまり、下痢と熱が酷くパソコンに向かう気力も体力もなく、唯ひたすら血小板とHGBの輸血を毎日毎日朝晩受け、唯下痢が止まるのを祈るばかりでした。本当に辛い辛い日々でした。やっとすこし気力が出てパソコンに向かい始める事ができたのは、妻の誕生日からでした。

      この欄後日後述(2005年8月14日)
今日の妻の誕生日に復活するぞ! 2004年06月16日(水)

  ★今日は、妻の誕生日である。石に噛り付いてでも執念で復活してやる!・・・

 移植以来状態は、よくない。何がよくないかというと、下痢が当初から続き止らない。移植後13日目でもとまらない。4.5日前までは、1日40回ぐらい下痢をしていた。その上、痔が出てきてしまって、どうしようもない事態に陥ってしまった。このつらさとしんどさは、表現のしようがない。
 ここ。2.3日下痢の回数も10回前後に落ちてきたので、多少持ち直し気味・・・

 ドクター曰く
「大量抗がん剤の下痢は、垂れ流す以外に方法はない・・・」
 とのことで、下痢が止まるのを待つしかないようだ・・。
 また、大量抗がん剤使用の影響で、血栓ができているようで、今、白血球は、20000ちかくあるのに、新しくつくった血液を、ことごとくこの血栓によって破壊されてるようで、HGB,血小板ともに上がらず・・・。特に血小板などは、ずぅと1万をきっったままである。
 異常な数値バラランすだろうなあ・・・
 
 腎臓の機能も相当悪くなってみたい・・・
 思ったより、長くかかるかもしれん・・が、執念でいや、なにがなんでも賦活して見せるぞ!。。。。
 

血のむなしさよ・・・ 2004年06月17日(木)

  ★ 移植以来、連日39度から40度の高熱が続き、それとやや時を同じくして、強烈な下痢が始まった。最初2日ぐらいはパンツで何とか持ったが、とてもじゃないこの強烈な下痢には、紙おむつをはくしかない様になっていた。大量抗がん剤の強烈さは、パンツに付いた下痢の浸みは、洗っても退かなかったようだ。それほどきつい。
 その下痢が1日40回、1週間以上続いた。その上、たいしたことないと、当初思っていた痔が強烈な痛さとともに襲ってきて。二重苦。三重苦の苦しみでした。

▲ その上、しゃっくりがのべつまくなしに、出て喘息状態に陥ることしばしば・・・・
 止める方法も、見つからずベッド上を七点八倒する以外手はなく、ベッドの柵にしがみいついて泣くのもしばしば・・・

★ 熱を下げるために、ステロイドを頻繁に使用したせいか、血糖値が大幅に上昇・・・。3日前より24時間ずーとインシュリン投与・・・・。今は、だいぶよくなっている。。

◆ 白血球は、いま17000近くある。グランの点滴も3日ほどで止めるほど、急激に増えているよかったのだが。
HGB、血小板ともに極端に悪い。
大量抗がん剤の治療によってできた血栓が、新しい血をことごとく破壊しているんだとか・・・・
 むなしい。。。せっかく新しくどんどん血をつくってるのに・・・・。
なんでだよおお!

腎機能はいぜんわるい

am 0:30
 

早く治れ! 2004年06月21日(月)

  ▲金曜日に突然腹痛。胆のうとすい臓を壊したらしい。
すごい痛み・・・。黄疸も出て苦しい。胆汁がたまっている・・・
 次々と悪いところが出てくる・これでもかといわんぐらいに・・・

 早く治って欲しい

am7:00
黄疸消えず 2004年06月22日(火)

  ▲まだ、体が黄色く目も黄色い。黄疸消えず。
 ドクター曰く「少し時間をかけた方がいいだろう」
 移植後、ずっと絶飲食だったのを、腹痛が起きた日にゼリーなどを食べたのが、よくなかったらしい。ので再び絶飲食。

★昨日の血液検査で、微量ながら血小板が増えてた。
 8000から12000 嬉しい、とはいっても、あぶない数字だけど・・・
 

皮膚生まれ変わるのか? 2004年06月23日(水)

  ▲顔から体中、皮膚がぼろぼろで指で触るとおもしろいほど、薄皮1枚だけがはげてくる。もうはげ初めて1週間以上にもなる。顔など魚のうろこ状態。鏡など見れたものじゃなかったのが、2,3日前から新しい皮膚が顔を出し始めた。皮膚も生まれ変わるのだろうか?

★目やにがすごく、少し寝て目が覚めても目やにのせいで、目が開かない。指で上のまぶたと下のまぶたを強制的に引き離すようにしないと開かない・・・
 なんたる粘着率の強い目やになのか?。。なかなか顔を洗ってものかない・・・

am 7:30

▲昨日、教授回診の後、レントゲン撮影のため、マスクして車椅子で、無菌室を出た。金曜日にお腹が痛くなった時にも、CTを撮りにベッドごと運び出されたのだが、痛くてそれどころじゃなかった・・・。
 無菌室に入って21日振りに、外へでられた。周りが明るすぎるぐらい明るくて、1Fの撮影室の前の中庭の草花がまぶしいぐらいに輝いてきれいだった。マスク越しに息をするのは、まだ少し苦しかったものの、「ああ、回復してきてるんだあ。。」という嬉しさを感じた一瞬でもあった・・・・。
 近いうちには、無菌室をでられるかもしれない・・・

AM 9:30
 


十月十日 2004年06月24日(木)

  ▲早いもので一昨日で、ここ大学病院に入院して、化学治療を始めて10ヶ月と10日を過ぎた。
移植後、思った以上に悪戦苦闘している毎日だが、思えば赤ん坊が生まれるのが10ヶ月あまりかかるのだから、
人ひとり生まれ変るのだと思えば、このぐらいの時間が掛かっても不思議はないかもしれない・・・

★昨日の血液検査
白血球 7900 HGB 6.8 血小板 10000
CRE 3.4 BUN 33
HGBは輸血 まだ若干ながら赤血球が壊れてる
血圧がここ1週間低い 上80台下50台

AM 10:00

◆「そろそろ、水を飲んでもかまいませんよ」と昨日、ドクター。
 「ジュースもいいですよ」と研修医。わざわざ冷蔵庫を開けて、野菜ジュースの成分を確かめて,GOサインを出してくれたものの、水はともかくジュースは、まだ怖くて二の足をふむ。水は、ペットボトル半分を朝から空ける。お腹も痛くならず、下痢もしそうもなく、本当にホッとする。水がうまいというより、安堵感の方が強い。でも、飲めるという嬉しさを感じてすこし涙ぐむ。
 明日は、野菜ジュースが飲めるかもしれない・・・

PM 5:30
 
 

今日もシャワーを浴びる 2004年06月25日(金)

  ▲今日も、シャワーを浴びさせてもらう。ここ無菌室には簡易シャワー設備があって、半畳ぐらいのスペースながらシャワーが浴びられる。月、水、金の週3回である。
 移植後、下痢がひどいとき1週間を除いて、シャワーを浴びている。白血球が500ぐらいの時も浴びた。今でも血小板は低いけど、当時はもっと低く5000ぐらいしかないときでも浴びてた。看護師さんなどは、相当危惧していたのだが、ドクターがいつもGOサインをだしてくれ、浴びることができた。
 おかげで、苦しい悪戦苦闘の毎日でも、シャワーを浴びると一瞬でも気持ちよい気分になれ、なんとか今日まで気力が持ってきたのではないだろうかと思っている・・・

PM3:30

★今日の血液検査
 白血球 9400 HGB 8.2 血小板 17000
 CRE 3.0 BUN 21

嬉しい! 血小板が7千も増えた・・・。正常値からは、まだまだ程遠いけど、自力で増え始めたことがなんともいえなく嬉しい・・・

PM5:00
 


口内炎 2004年06月26日(土)

  ▲移植後、口の中は見るも無残な口内炎にやられ、ずっと呂律がまわらない状態がい続いていました。はっきり喋ろうとすればするほど、口の中で舌がまわらなくなり、歯がゆい思いと痛さばかりの毎日でしたが、美人薬剤師さんが作ってくれた痛み止め入りうがい薬が効き始め、4,5日前から急に口内炎もおさまりはじめ、ろれつのほうも少しずつ回るようになってきた。
 まだ若干の喋りにくさと痛さは残っているものの、ちかいうちにこれも解消されるかもしれない・・・・

pm1:00

★ 今日は1日中、37度前後の微熱があり少々不安。昨日まで熱もなく順調に来てたものだから、少しの微熱も不安になる。
 血圧は、徐々に上がりはじめ 上が120を指し、ほっと一安心。
pm5:30
今日も雨 2004年06月27日(日)

  ▲無菌室では、防音構造になっているせいか、此処2,3日の豪雨にちかい雨音も聞こえず、静寂そのもの。。時折、人が入ってきた時、クリーンな空気を排出するパネルのモーター音だけが響きわたる。やっと動けるようになった体と点滴台を引きずり、外が見える窓まで行く。
 二重窓に寄りかかり外を見ると、雨が降っているのじゃなく、病院に近い山肌から空へ水蒸気が立ち上がっている様に見えるほど、水の匂いが充満しているように思える。早く、外へ出てみたいなあ・・・。現金なもので少し体が良くなるとすぐ治った気でいやがる・・。我ながら苦笑い。。

★研修医
「まだまだ膵臓炎が怖いので、脂肪分は絶対採らないように!膵臓炎は長引きますから注意しましょう。。」
 朝、自販機でアメリカンの砂糖入りカップ入りコーヒーを買ってもらってきたのを受けてのコメント。
 約1ヶ月ぶりに飲む何の変哲もないコーヒー。いつもなら香りすら気にも留めないのに・・・。今日は、鼻をコーヒーの香りがツーンと刺激した・・。
 (鼻の匂いの感覚も戻りつつあるんだあ・・・・)

pm2:00
Gさん、退院おめでとう 2004年06月28日(月)

  ★【番外 病棟のお友達】で紹介したGさん、今日めでたく退院。移植してすでに3ヶ月、ずっと入院してたから喜びもひとしおだろう・・・。Gさんは丸1年以上の闘病生活。お互い意識しながら闘病生活を送ってきたから、無事退院できたのは私にとっても嬉しい。皆、治って病院を出て行けたら最高!

▲今日の血液検査
 白血球 8300 HGB 8.3 血小板 11000
 CRE 2.5 BUN 11
 血小板が前回より減少。 少々心配。腎機能の数値も下がっているので、全体には上向きか?

 明日の昼から食事が出る。おもゆらしいがそれでも約1ヶ月振りの食事になる。嬉しい。食べれるような体の状態になったことが、特に嬉しい。

PM 7:30
今日、無菌室をでる 2004年06月29日(火)

  ▲朝、ガリュームシンチ検査の注射をするため、無菌室を出て、点滴台を引いて1FのRI検査室まで歩いていく。途中、病棟の看護師さんたちに祝福をうける。自然に笑みがこぼれる。うれしい!
 さすがに、本格的に歩くのは30日ぶりになるのでバランスがとりにくくふらつく。でも、そのふらつきが心地良いと感じさせてくれるほど、気持ちは開放感でいっぱい。
 病棟に帰って、2.3人の闘病仲間に会う。皆、祝福してくれる。ありがたい。
 午後、無菌室から4人部屋に替わる予定。Gさんのベッドが空いたから、そこかと思っていたがどうもちがうらしい・・・
 今日替われば、30日目の無菌室、脱出である・・・・
 長い長い戦いであった。。

AM 10:30

★今日の昼から食事が出た。1ヶ月振りの食事である。
 五分粥に鶏肉のゆでたもの。ほうれん草のゆでたもの。すいか。高カルシューム飲料。の献立である。

 五分粥を少しすすってみる。不思議なものである。あれほど病院食がまずくて、文句の言いたい放題をいってたのに、うまいと感じる・・・。これほど横着な者かと苦笑いしながら食べる。
 「最初は、ほどほどにしておいた方が・・・」と、研修医、看護師に言われているので半分に止めておく。半分でも、全然食べてなかったせいか、満腹感いっぱい。
 腹痛も下痢も起こしそうになくひと安心。
 食後、歯磨きをしてみる。口内炎が出始めて以来である。まだ口内炎が痛いので恐る恐る歯ブラシを動かす。
うーん、やっぱりイマイチか?・・・

PM 1:00

◆ついに、待ちに待った無菌室を出る時がきた。
教授回診の後、看護師さんにうながされて無菌室を出て、4人部屋に移る。南側の部屋の窓際。無菌室に比べてとても明るく開放感がある。なんとなく心がうきうきして、無菌室から運び出した物を整理するのもまた楽し。。

pm4:00

 ▲夕食。半分ぐらい食べる。少しずつ少しずつ食べられるようになればいいかあ・・・。
 3ヶ月前ぐらいから同室になったリンパ腫の闘病してる方と骨髄腫と戦ってる方に祝福をうける。
 「最近、いいことあった時に皆で、お茶してるんですよ!飲んでみてください」と、骨髄腫と戦っている方にドリップ式のブルマンをいただく。先日のHPの日記読んでくれての心遣いなのだろう。ありがたく思う。。

 ( いつブルマンの香りが、わかる様になるのだろうか・・・)
 期待と不安が交錯する・・・・いずれは時が解決してくれるのだろうが・・・・・

pm 8:00

 
 

研修医と看護師 2004年06月30日(水)

  ▲今日で、新人研修医とお別れ。明日からは、別の科に移る。
 今年から研修医制度が変わり、従来の専攻を決めて一箇所で研修するシステムから3ヶ月サイクルでいろんな科を研修していくシステムに変わったそうで、我が研修医も、今日一杯で次の科に移っていくこととなった。
 実質1ヶ月余りしか、診てもらってない。こんな、制度が本当にいいのか?患者側から見ればこんなに短くコロコロ替わられると気分の悪い事この上ない。
 今の研修医は朴訥でまじめな好青年で、私は好きだったのだが・・・・

am 11:00

▲今日の血液検査
 白血球 7000 赤血球 8.0 血小板13000
 CRE 2.5 BUN 9
 血小板は若干増え、腎機能は横ばい、他は若干の減少気味。総じて言えば、誤差の範囲内か・・・・

PM3:00

★今日で去っていく看護師さんへ
この病棟で上から数えて何番目かというほどの看護師さんが今日で辞めていく。何で?という思いと大きなショックである。
 ある看護師さんに言わせると「この医局をずっと引っ張ってきた人」そんな人ですら辞めていく。春3月の時といい、今回といい、どうなってるんだよお!と大声で叫びたい気持ち。本当に・・・

 彼女には、以前から散々世話になり、病院食を余り食べられない私のために、ご飯の蓋を事前に開けて嫌な匂いを消すという方法を考えてくれたのも、彼女でした。
 今度の移植では、あの移植後の苦しいときにずいぶん世話をしてもらいました。下痢が酷く、しゃっくりが連日のように出ていた時、眠れなくて悶々している私に「無理に眠らなくてもいいのよ。寝られない時もあるから・・」という言葉をかけてもらい、一気に肩の力が抜けて気が楽になって、2,3時間だけど寝られ、それ以後毎日少しずつ眠れるようになった。大した言葉ではないんだけど、私にはものすごく大きな言葉であった。
 また、下痢が一向に止まらず、痔の痛みで、夜半なき状態で便器に座ってた私に、「温浴してみましょうか?」と、彼女は言って、当直の医師に許可をもらいに行ってくれた。夜も11過ぎてだよ、これが。で簡易シャワーの所に大き目の洗面器に湯をためて、おしりをそれに沈めて温浴させてくれた。あの時の気持ちよさは、表現の仕様がないほど気持ちよいもので、たぶん生涯忘れることはないだろうと思っている。
 この2つが、この移植での苦闘から這い上がってこれたターニングポイントだったと私は思っている・
 実際、彼女がいなかったとしたら、私はまだ無菌室で悪戦苦闘していたかもしれない・・・・
 これだけ、患者の気持ちをわかろうとする彼女が去っていくなんて私には信じられないし、ここのシステムに疑問を持たざるを得ない。
 彼女には本当に精神面でも世話になったから、感謝の念にたえない・・・・・ありがとう。でも残念だ。

いったい、ここはほんまにどうなってんだよおお!

 pm 7;30
口内炎いまだ治らず 2004年07月01日(木)

  ▲口内炎の直りが遅く閉口している。舌の両側と両頬の内側がいまだに口内炎。
 食事の時、固形物を食べると痛いのなんの・・・思わず箸を取り落とすぐらい・・・。だから食事するのも辛いのだが、食べないと栄養剤入りの点滴から逃れることができないから、無理して食べているのだが、あまりに肩に力が入りすぎて、食事が終わるとどっと疲れが出てしまう始末。
 ( 何、やってんだか・・・)
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、自分でも呆れてしまう。
 それにしても、治らんもんだねえ・・口内炎

pm 5;00

★新人の研修医の後釜は、補充されず、ドクターと前から知ってる医師の二人体制で診てくれることになりました。前から知っている医師のことを、以後、担当医と呼ぶことにします。

◆ここ、3,4日午後から37.5度前後の熱が出る。昨日シャーワーを浴びた後出たから、今日浴びなかったんだけど熱が出た。
しまった惜しいことをした、どうせ出るなら浴びればよかったと後悔しきり・・
 
▲今晩、明日のガリュームシンチ検査のための下剤を飲まなければならない。
 下剤と聞いただけで、移植後のあの下痢を思い出す。
また、止まらなくなったらどうしようという不安でいっぱい。
 で、ドクターにも聞き、担当医にも聞く。
「一過性のものだから大丈夫ですよ」と、あっさりしたお答え。
 でも不安だよなあ!

pm7:30
 


今日久々に洗濯する 2004年07月02日(金)

  ★昨夜、下剤による下痢を心配してたが、3回ですんでホッと一安心。なんだそんなことでと思うかもしれないが、あの壮絶な下痢を経験した者でないとわからない不安感なのである。
 ああ、よかった

▲今日の予定
 血液検査 Gaシンチ検査

am 7:00

★血液検査の結果
白血球 6900 HGB 7.7  血小板 10000
CRE 2.2 BUN 7

血小板がまた減少。増えない事に苛立ちを感じる。何でだろう・・・。

PM5:00

★今日、洗濯する。前回の入院以来になるから役1ヵ月半ぶりの洗濯である。今回は入院以来無菌室に入り移植ということもあって、カミさんが洗濯して、2.3日に1回来てくれていた。移植後の一番きつい時には連日のように来てくれていた。高速で往復で3時間ぐらいかかるから、汚れ物を持って帰って洗濯して持ってくるというのは、大変だったと思う。その上、自営なのでその仕事もしなければならなかったから、私もきつかったけど、カミさんもきつかっただろう。
 で、少し体調も良くなったので、以前の様に今日から洗濯を再開。
 妙なもので洗濯することによって以前の日常生活がオーバーラップして、もう治ったんじゃないか?という錯覚に一瞬陥ってしまった。でも、錯覚じゃなく現実に洗濯できたということは、確実に回復傾向にあるんだろう
なあ・・・・。肉体的にも精神的にも。。

pm 8:30
 


Gaシンチ検査の結果 2004年07月03日(土)

  ▲窓から眺める夏雲に、外の強烈な日差しと暑さを感じる。少しなら外へ出てもいいと担当医に許可をもらったものの、外の暑さを想像しただけでたじろいでしまう。まだまだ、この暑さの中外へ出る勇気がない・・・

★昨日のガリュウムシンチ検査の結果
 ドクター
 「懸案だった腰の辺りの腫瘍が消えていました。5年いや2.3年規則正しい生活を送ればいい状態になるとおもいますよ」
 よかった!1番懸念してた所、最後まで抗がん剤が効かなくて放射線治療までして、移植前の大量抗がん剤の投与に望みを託した腫瘍がのいている・・・。なんと嬉しいことか!小躍りしたい気分!嬉しい・・・
 「頬に黒いのがありましたけど・・」
ドクター流のジョーク。いつも腫れる耳の下の腫れのことだと思うけど、同時に言うところなどはジョークなんだろうなあ

am 11:30

HPを夏向きに 2004年07月04日(日)

  ▲毎日、暑い日が続いているようなので (病棟にいると冷房が効いているので、外が実際どの程度暑いのかわからないのである・・) ホームページも夏向きに変えてみました。

 AM8:00

★昼から、何故か解らないけど体がだるくしんどい。ここんところ、ずっと微熱が続いてるせいか今日はやけにしんどい。ベッドに横になっていてもなかなか寝つかれないので、少し苛立ち気味になる。寝れると少しは楽になるんだろうけど・・・・・

pm6:00
退院が近いかも・・・ 2004年07月05日(月)

  ▲無菌室にいた時は、シャワーを浴びれるのは、月水金だったのが、シャバに出てくるとそれが 火木土になる。看護師さんが、無菌室からの人だったので
 「今日、入る?」というので、壱もにもなく当然「入る」と答え、昨日まで工事していた介護浴室で浴びることにする。なぜか?。どうも全身シャワーができる装置が設置されたらしいので、第一号で使用したいと思ったわけ・・・。で意気揚々と介護浴室へ。。
 バブルジェットのお湯が、座った全身の周りをシャワー状態で多数のノズルから勢いよくでて、体を叩くもんだから、気持ちがいい。気持ちが良くて、座っている椅子の背もたれに身を任せて寝てしまいそうになる。
 バッテリ付きの点滴台引っ張ってきているのでそうもいかないので、適当なところで出る。でもいつもより3倍長く入ってだろうなあ・・・。なかなかいいものを入れてくれたものだ。拍手喝采。

AM 11:20

★今日の血液検査の結果
 白血球 8100 HGB 8.1 血小板 18000
 CRE 2.0 BUN 6
ヒャホー。血小板が上がった。うれしいべ・・
 腎機能も少し改善されたし、数値的には嬉しい結果。

 ドクター
 「血小板のこの増え方は、前回一度増えてすぐ減った時とは違うと思います。これで20000を超えれば退院していいですよ。CREも最終的に1.6、7に落ち着くんじゃないかと思いますがね。それと首からの点滴(IVH).明日抜きましょう」
 「えっ、退院ですか?」
 うそー。耳を疑るような言葉。ほんとかよ・・・。信じられない展開なので、どういう顔でドクターの顔を見ているのか想像できない・・・。本当に嬉しい時は、すぐに表情に出ないのかもしれない。戸惑いのほうが大きすぎて・・・
  「順調に行けば、今週中にはできますよ。」
 今週・・・・・。あまりの嬉しさに声が出ない。今晩寝られるかなあ・・・・。HAHAHA

PM 8:00
 

首の点滴(IVH)離脱 2004年07月06日(火)

  ▲午後から、担当医に首の点滴(IVH)をのけてもらう。40日余り入れてた事になる。こんなに長く入れたのは、11ヶ月の入院生活でも初めて・・・。そのせいか、IVHを入れている所を、糸で管が抜けないように皮膚に縫い付けているのだが、『IVH剥ぎ取り事件』の時の血のかさぶたと糸がくっついてしまって、糸がなかなか切れなくて、管を抜くのに思わぬ時間がかかってしまいました。
 首の点滴がなくなると、気分的にも(ああ、良くなったんだ)と言う実感がわいてくるし、滅茶苦茶身軽になるので、歩くとバランスを崩してしまう。点滴台を引っ張ろうとしてたり、押したりしてたからどちらかに体を預けるようになってたかもしれない。
 だから歩いててもふわふわしてどことなくぎこちない。嬉しいぎこちなさである・・・

★『IVH抜き取り事件』とは・・・
看護師さんの中では、こう呼ばれてるそうで、移植の前日、睡眠薬かその種のクスリで幻覚症状におそわれ、夜中に体に付けてた心電図の端子やIVHを引き抜こうとして体中傷だらけになった事。ほとんどの人が、真っ青になったらしく、これで移植が出来るのだろうか?傷口から感染するのではないか?と心配したそうです。
 その時、無菌室で携わった看護師さんのほとんどが、私の胸と首を見るたび
 「よく治ったわねえ・・・」と感慨深げに言います。
 本人は、丁度自分が見れる位置でないから、その当時どれほど酷かったのかわからないから、この話が出るたび恐縮して、何処か逃げ場所をさがす始末。
 本当に移植前日のひとつ間違えば、移植すら出来なかったのではという事件でした。

▲教授回診の前に、首と胸のCTを撮りにいく。

PM 2;30
 


血小板が・・・・・ 2004年07月07日(水)

  ▲血液検査
白血球 9000 HGB 8.4 血小板14000
CRE 2.1 BUN 18

大方の予想を裏切って、血小板が下がってしまった。
 ガックリ。
 ドクターも何とも言いようのない雰囲気で
 「まあ、金曜日の血液検査でまた下がるようであれば、骨髄見てみましょうか?」とのお言葉。
 担当医に聞いてみると
 「血小板、誤差の範囲内?と言うことはないでしょうねえ」
 「CREの数値ならともかく、血小板の数値はねえ....]
とマスク越しではあるが、苦笑いをしている様。

 で、結局、退院を期待していた私には、面白くないデータを突きつけられたので、意気消沈。
 仕様がないから、金曜日の血液検査を期待しながら不貞寝でもするかあ・・・・

★移植後、口内炎で苦しんでいる時に、美人薬剤師に特別に作ってもらった痛み止め入りうがい薬の処方箋を、私の幹細胞移植のページにアップしました。

PM 7:00

▲星に願いを・・ ・・
 今日は、七夕だったのかと思い、窓越しに空を仰ぐ。残念ながら、深い雲に覆われ星はひとつも見えない。此処2.3日、少し欠けた月がベッドから見えるぐらいクリアな空だったのになあ・・・。毎日、ベッドから月を見ながら寝てたのに。。意外と月を見ながら寝ると気持ちよく寝られる。自然には心を癒すものがあるのかな?

 星が見えてなくても厚い雲の向こうには、らんらんと光り輝く一等星があるはず、
  今日の七夕の日に 《星に願いを!》

 ”血小板よ、早く上がっておくれ。。”

 届いて欲しい・・・・宇宙の星たちよ・・・

PM 9:00


 
 


栄養指導を受ける 2004年07月08日(木)

  ★胆嚢と膵臓を無菌室の時に、悪くしたため退院を見越して、自宅での食生活の栄養指導を栄養士さんに一時間ばかり受ける。
 受けてみて「あああ、受けるんじゃなかった!」と落胆。お先真っ暗と言う気分。私の好きな物は大半だめ。
これじゃあ退院しても、楽しみがないじゃない。どうしよう・・・・・
 ほんと、笑い話じゃなく深刻な悩みになってしまった。ああ、憂鬱・・・・・・・・

pm 5:00

 
明日、退院 2004年07月09日(金)

  ▲今日の血液検査
 白血球 8300、HGB 8.8 血小板 29000
CRE 2.2 BUN 27

七夕の日に、《星に願いを》かけたおかげなのか、《星》が願いをかなえてくれたのか・・・

 ついに、血小板が20000を超えた。
 担当医がデータを持ってきて
 「良い数値なので、いつ退院されてもいいですよ。蹄鉄さんの都合の良い日に退院されては・・・」
 と、笑みを浮かべながらおっしゃる。

(その言葉を何度、いつから待ったろうか・・・・・。待ちに待った、喉から手が出るほど欲しかったその言葉。嬉しい!嬉しい!ついに《退院》だ!『一時退院』じゃない本当の《退院》だ。
 どれほど、待ったことか・・・・。11ヶ月かかった。
一時は、本当に駄目かと思ったこともあったし、気持ちが萎えたこともあったけど、退院できることになって嬉しい!。もうこの言葉以外言いようがない。

 ドクター、転勤した主治医、今の担当医、研修医、それから看護師達スタッフの皆さんの治療やサポートのおかげで退院することが出来るようになりました。ありがとうございます。あっ、美人薬剤師さんもありがとう・・。

 特にドクターには、最初ここに来た時から【移植】一本で、指導治療してきていただき感謝の念にたえません。たぶん、ドクターじゃなかったら私は、間違いなく途中で逃げ出していたでしょう・・。ありがとうございました。
 とはいえ、まだまだ外来で通院しないとだめだから、油断はできませんし、腎機能、胆嚢、膵臓、肝臓の機能は依然と悪いから、そちらとにらめっこしながら、体の回復に努めないといけないから、大変だとは思うけど、社会復帰ができるかと思うと何よりうれしい。

今日、退院しても良かったのだけど、荷物もあるしカミさんに迎えにきてもらわないといけないので、明日退院ということにする。。

★退院の記念に、担当医と写真を写す。
 「HPに載せてくれてもいいよ・・」と担当医。
 大胆なご発言・・・・どうしようか・・・・

PM13:30
 


退院しました 2004年07月10日(土)

  ▲今日昼過ぎに退院しました。
長い闘病生活でしたが、闘病したかいがあったと喜び勇んで荷物を片付け、カミさん迎えを待って帰ってきました。
 先日のCTとGaシンチ検査の結果は、ドクターによると
「リンパ腫の腫瘍は見当たらない」ということで、当面は合併症でダメージを受けた、膵臓、肝臓、胆嚢、腎臓の機能回復をはかりながら、移植後のケアーをして行こうということで、退院して通院治療をしていくという方針が決まりそのようにすることにした。

顔見知りの入院患者と看護師さんたちに祝福を受け、外に出る。
 強烈な日差しと暑さに、一瞬にして体がいやだいやだと拒否反応を示す。
 「ひえー、暑いなあ。まいったなあ・・・・」
 「だから言ったでしょ。もう少し涼しくなるまでいたら良かったのに・・・・」とカミさん。
 あのねえ・・・・

 久しぶりに、喜びを体中で表すふくに会う。うれしさのあまり私もじゃれまわる。
 あっ、いけねえ!
 「当分の間、飼い犬とも親密に接触するのは避けた方がいいでしょう。万が一、感染症のこともありますから・・・」と、ドクターに言われたのを思い出し、しぶしぶ距離を置く。ふくは、いぶかしげな表情・・・
しょうがねえだろ・・・。少しの辛抱だからとふくにいい、自分にも戒める。
 一面、病院にいるときより家での闘病の方がつらいかもなあ・・・・

pm5:00