2004年3月22日から4月22日
7回目の化学治療
R-ESHAP法による治療
no8
土砂降りの中・・ 2004年03月22日(月)

  夜中から、ぽろぽろと降ってた雨は私が病院に帰る頃には土砂降りになってた。アスファルトに叩きつけるような勢いの雨の中をバス停へ。
 いつも思うのだが、病院に帰るのか>病院に行くのか?。 8ヶ月も居ると、'帰る'の方がしっくりくる。家のほうが確かに落ち着くし気分も安らぎ、いきいきするのだが,何故か ’病院に帰る’という表現がマッチする。
 昼前に、少し小ぶりになった雨の中を病院に入る。今回が移植前最後の治療になるか?
 先週、移植したGさんの様子を見に行く。びっくりするほど元気。熱も出ず下痢も大して出ず「軽いもんよ!」とケロッとしている。すごい人だなあと感心するばかり。おれの時はどうなるんだろう・・・・

       PM1:30

早速検査。前回退院前に予約していたCT。造影剤入れるやつ。前の病院で一回気分悪くなったことがあるので、毎回おっかなびっくりで身構えながらやっているのだが、薬が違うのかこちらの方が強烈に感じることもなく楽。あっさり検査も終り、今日はすることもないので一眠り。家へ帰って少し仕事をしたので病院で休まなくちゃ!。
     PM4:00
 

今回の治療は 2004年03月23日(火)

  主治医
「CTとガリュウムの検査結果をみて、どうするか決めたい。基本的には前回と同じ治療。」
 ということで、今日も朝一から検査。
一週間ぶりの採血の後、造影剤入りCT撮影、昨日一緒にしてればいいのに・・・・。昨日は腹部、今日は胸部。そのあと、ガリュームシンチの注射。
 元来血管が細い上、長い入院生活のおかげで血管が採り難くなってるので、3回続けては?と思っていたが、CTの先生は上手だった。いつも皆が失敗する所でいとも簡単にやってのけた。どこが違うんだろう?。昨日のCTの先生も上手かったから場数か?。ガリュームの方は、相も変わらず採血した血管に注射・・・・・。
 無事終了後、朝めし抜きだったので喫茶店へ。(ここで飯食ったら、昼食えるかなあ・・・)と思いつつ、飯を食う。まだ、病院の飯は一食しか食ってないのに、すでに1.2ヶ月食べた気分。先が思いやられるなあ・・・
    
    AM 11]30

私がここの病院に入院した当初、右も左もわからないで心細くしている私の面倒をよく見てくれた看護婦さんがいた。私が入院したのが8月中旬でそれから約一ヶ月ぐらいの短い期間だったが、相当面倒をみてもらった。
彼女は、出産のためそれから産休に入ったので、当初私は寂しい思いをしたものである。
 その彼女が、生まれた赤ん坊を連れてちょくちょく病棟を訪れるようになっていたが、私には会う機会がなかった。ところが先月たまたまナースステーションの前で会った。丸々とした元気そうな赤ちゃんを連れた彼女は周りの看護婦さんたちと談笑するばかりで、私の存在には気がつかないようであった。
 (忘れたのかなあ・・・)と思いつつも釈然としない気分であった。
 で、今日、またエレベータ前がすこし騒がしかったので覗くと彼女が赤ん坊を連れて看護婦さんと話していたので、のそのそと会いに行くと、彼女は、こう私に言いました。
 「××さんたら、えっ妊婦さんだったの!って言うんですもの!」
 彼女は、相当気分を壊していたのである。私が来た8月にはパンパンにお腹が大きくなっていたのだが、背丈が低かったので私には太っているように見えたのである。不覚!。わからなかった私が鈍いんだけど、でも、わかんないよなあ、そんなこと・・・。今は彼女の壊れた気分がなおるのを祈るばかり・・・。

        pm5:30
 

寂しいなあ 2004年03月24日(水)

  年度末になるとどこの世界も人事異動がある。ここもご多分に漏れず看護婦さんが病棟を去る。

 彼女は入院当初から随分お世話になった看護婦さんで、この日記の去年の’8月18日 効きすぎ’と’9月1日 今日は、肝臓の生検 ’に登場してもらっている人である。
 今思い返してみても、あの当時毎日毎日熱が高く彼女には、こまごま面倒をみてもらった記憶がある。最も印象に残ってるのは、少し熱が下がった日の夕方、レントゲンを撮りに行くというので、彼女に車椅子で連れて行ってもらい、帰りに窓の開いた通路を横切った時、心地よい風をさあーっと受けて「いい風ですねえ、久しぶりでしょ!」と私に言ったあのさわやかな笑顔が今でも忘れらない。
患者のいないベッドの前で、彼女の薬の名前を読み上げる真面目でちょっとハスキーな声をもう聞けないのかと思うと寂しい。
 
ああ、あと4人もやめるんだって。。がっくり  
 
★主治医とCTの結果について話す
 非常にブルーな気分になる。半分ぐらいは予想していたものの、現実に主治医の口から聞くとショックを隠せない。腫瘍そのものの大きさは前前回の治療後とほぼ同じで変わってない。前回の治療で少なくとも腫瘍が小さくなったと思われる事はない。私から見れば治療の効果がなかったと言える。
 主治医「シンチの結果と合わせて最終的に判断したい。治療方法は当初の予定より少し変えるかもわからない」 結局、ラステットは効かなかったということか?
 「どちらにしろ今回の治療で叩いても叩き切れず腫瘍は残りますよねえ。それで幹細胞移植をしても結果は良くないんじゃないでしょうか?」「だから、移植前に抗がん剤を大量投与するわけ」「じゃあ、希望はあるんですか?」「・・・・・」
  主治医からは確たる返事がなかった。
 (なんか、思考がさだまらないなあ・・・)

        PM5:00

また一人・・・ 2004年03月25日(木)

  また一人看護婦さんが病棟を去る。彼女も私が大好きな看護婦さんの一人である。この日記にも’去年の9月30日’に登場してもらっている。
 彼女はいつも笑ってるような表情のするcuteな人で、歩き方が少しだらくヤンキーぽく、それを私はいつもからかっていた。表面的にはそんな彼女ではあるが、仕事はできる。採血は上手いし、切り替えが早い。急に調子が悪くなった時など、駆けつけてきて真剣に医者と話している時の顔、びっくりするほど違うんだよなあ、私はその大きなギャップが好きであった。
 また私が首から初めてIVH入れた時(主治医が7.8回トライした時)、彼女は最初から最後まで私の手をずっと握ってくれていた。優しい人なのだ。それ以降IVHを6回ほどやっているが、そのたびにつく看護婦さんで手を握ってくれた人は一人もいないから特にそう感じるのかもしれない。
 最近は、なんかやさしい人より、見るからに斬れる人の方が重宝されるのかなあ・・・・。でも研ぎ澄まされていて殺伐とするんだよなあ。私にとっては、残念で寂しいかぎり・・

★ドクターとの会話 昨日の主治医との会話を受けて。
 「やはり、今の状態では幹細胞移植、大量化学療法がベストでしょうね。」
 「もし、残った場合放射線治療と言う手もある」
 −自己幹細胞移植の場合、最近では移植という言葉を使うのは適当でないということで、大量化学療法と言う様になりつつあるんだとか?。ふーん・・・・・

 AM11:30

◆夕方 主治医と会話する
 「今回の治療の概要。10時からIVH.薬剤は少し変えることになる。」
 「10時?ガリュームは?」「ガリュームは9時からだから、10時には十分できるから・・・。それと昼からリツキサン入れるから。」
 「薬剤変えるって? ラステットはリンパ腫治療の基本だってドクター言ってましたよ・・・」
 「今回はラステットを減らして違う薬剤を・・・。一発強い薬をいれる。詳細がはっきり決まったら言います」
ー決まったらと言ってももう決まってるじゃないかよお。ガリュームの結果は参考にしないの?それともほとんど予測できてると言うこと?−
ーきついの一発で効くのか? ああブルーだ・・ー

   PM6:30
 

今日のIVHは 2004年03月26日(金)

  今日のIVHは散散であった。シンチ検査のため、昨夜飲んだ下剤が午後11時くらいから効き始め、2時間おきにトイレへ。そのため、ほとんど眠れず私の体調も悪かった。
 いつも通り、主治医と処置室へ。「ちょっと今日は・・・。難しいかもしれない。血管がいつもより細くなっている。」と私の首筋に手を当てながら主治医。
 「ええっ、血管急に細くなることあるんですか?」
「時としてあるねえ」とあっけらかんとした涼しい答え。マーキングするマジックが上手く出ないので、主治医は段々いらつきはじめていた。その上、アシスタント役の看護婦さんが約束の時間から30分も遅れる始末。点滴が忙しくて遅れたのだそうだ。
 私のほうも、上半身は裸の上にタオルケットをかけられた状態、首と顔は斜め横に向けたまま40分あまりじっとした状態だから、面白くないことこの上ない。こちらも段々いらつきはじめていた。
 やっと看護婦さんが来て、始めたのだがこれだけ二人がいらついていると上手くいくわけもなく、私の首には20個余りの小さな穴だけが・・・・
 結局、ドクターの手助けを得て無事開通。処置室の時計を見ると、入ってから2時間も経過していた。前回は最短記録、今回は最長記録・・・。まあ、お互い8回目ともなると、はなから「簡単に入る」と思っていたから、油断と言うのもあったろうし、前置きが長すぎたというのあるし、私の状態もあまりよくなかったから上手くいかなかったのだろう。次回はあまりなめないでやったほうがいいのだろうなあ。
 しかし、上手くいかない時は何やってもだめだねえ・・・・。
 PM600

■今日の治療薬剤メニュー
   リツキサン 600ml
   ソルテム3A-24時間継続


   pm11:30
 

今回の治療予定 2004年03月27日(土)

  ★★今回の治療メニュー

1日目(26日)
  リツキサン
2日目(27日)土曜
  ラステット
  ランダ(シスプラチン)-- 4日間24時間継続
  ソルメドロール(ステロイド)
3日目、4日目、5日目は2日目のメニューと同じ

6日目(31日)水曜
  キロサイド
  ソルメドロール

★やはり昨日のリツキサンを入れる前の前処理のせいか、今日も眠たい。昨日も結局寝ている時間の方が長かった。まあ、入院しているのだから寝てるほうが長くても不思議はないけど・・・・
 移植治療中のGさん、大分こたえてきたようで、昼に会いにいってきたら(当然窓越し)、思ったよりしんどそうで、圧倒的に強いと皆に思われていたGさんですら相当ダメージを受けているようだ。それほど移植治療はしんどいものなのか? Gさん「俺も、これほどしんどいのは初めてだ!」と電話越しでしんどそうにいってたが、Gさんより体力のない私は、もっとしんどいだろうなあ。不安だなあ...

PM2:00

少し体がほてりぎみ 2004年03月28日(日)

  朝、採血
 白血球 9400 血小板 13.1万
 ステロイドを投与し始めたので白血球が増えてるらしい。
 少し体もほてり気味。
ステロイドの薬剤は(ソルメドロール)吐き気防止止めのクスリ(カイトリル)の中に混入されて、ラステットの前に投与されている。ランダが強度の吐き気を催す可能性があるので、夜、カイトリルのみ投与されている。

 ステロイドのせい(というかおかげで)で、いつもは嫌々食べてる病院食も、積極的とはいかないまでも抵抗なく食べられていろ。それが良いのか悪いのか・・・・・。

 今日も7:30、治療開始。
 ドクターに「治療開始後の、1回目の採血の数値、白血球や血小板は、ここ最近2.3回必ず上がってますよねえ・・・。まだ体力あるんですかねえ。」に聞く。
 「まあ、ステロイドの影響でしょう・・」
 「じゃあ。ステロイドに反応しやすくなったのかなあ・・」
 「・・・・・?」ドクターは、苦笑いをせざるを得なかったのだろうなあ。。


 ●昼飯後、天気がいいので構内に咲きはじめた桜を見に行く。へたすりゃ満開の花見時には、白血球が減り身動き禁止令が出ているやもしれず(たぶん、確定的に出てるだろうなあ、我が主治医のことなら・・・)見るのなら今のうち、とばかりに2本つるした点滴台をお供に外へ出たのはいいけど、1本は自動供給ポンプに繋いでるもんだから、重い上にでこぼこした路面を動かしたものだから、たちまち振動を拾い供給停止のピーピーアラーム「ええい、うるさいわい!」と音だけは消したものの、復帰の仕方わからず、しぶしぶ病棟へ後戻り・・・
 今度はナース(この言葉使うの初めてだなあ・・・カッコいいけど、私の年代にはちょっと冷たい響きかな・・まあどうでもいいけど)に、供給ポンプをのけてもらって再度外へ・・・。私には3分か4分咲きに見えたが、風が強いのか花びらがちらほら散っているところもあり、点滴の管が抜けるまもってくれるかなあと多少の心配。(馬鹿だねえ・・・その頃は、身動き禁止令発令中・・・)
 窓越しに見る花すらも自分の意思では、もうどうすることも出来ないのかと思うと一抹の寂しさを感じる。、
 何故、たったそれすら出来ないんだろうか・・・

    PM8:00
    
   
 


スタッフの質の低下は 2004年03月29日(月)

   今日で、治療は4日目。開始より心配していた吐き気も大してなく、発熱もなく前半は順調に推移している。
 中堅どころのスタッフが辞めて、この病棟は今はエアポケット状態でスタッフの人数も少なく、質も極端に低下。私がここに入院してきた時から比べると、雲泥の差で、サービスの低下に一遍の憤りと不安を感じる。
 ベテランと駆け出しの2.3年のスタッフのギャップがひどく、考え方も技術的な差も大きいように思える。
独立行政化法人になるとこういう事が起こり易くなるのではないかと思っていたが、案の定というところか・・
 4月から、ひよこも入ってくるようで、人材育成という期間の目的も備えている以上、両立させていかねばならないから益々、一時的な今以上のサービス低下は否めないだろうなあ。サービスの質が戻るなんて事はあり得るのだろうか?。私のように、近々重要な案件を抱えているものにとっては、非常に不安である。
      am 11:30

★午後2時血糖測定、279

主治医「ステロイドのせいだから、300ぐらいまで許容範囲としている。」
 ドクター「300をもしクリアとかその辺りとなれば少しインシュリンを使うことも・・・」
  「使って習慣性になるとかと言うことは?」
  「治療でなってるわけだからそれはないでしょう」
 それを聞いてほっ!。これ以上厄介な病気は、ひきずりたくないからなあ。

  pm9:30
 

治療5日目 2004年03月30日(火)

  朝、血液検査。白血球9100、血小板15.1万。
前回より数値は、上がっている。
 この数字を見ると、いつも思うのだが数字のマジックか?。抗がん剤の治療をしているのにステロイドを併用してるので数字が上がってるらしい。いつも繰り返してしまう疑問 (見せ掛けの数値なのか? では実際の数値に近くなるのはどの辺りからなのか?やはり、体がしんどくなり始めないと、数値には反映されないのか?)
 数値には振り回されたくないけど、数値の判断が重要な位置を占めてるなら仕方ない。数値に一喜一憂するわが身があわれかな・・・・
  AM 12:00

★今日は、教授回診。いつも通りの白い巨塔ばり。
 大して話すこともなく、いつもどおりの診察で終了。

★今日も、吐き気もなく、熱もなく今のところ副作用なし。
 いつもの命題「効いてるの?効いてないの?」
 結果は、二つに一つしかないのだから、ある意味博打と同じかもしれない。
 いみじくも主治医は言った。「考えたり言ったりしたら、そちらの方へ出そうで・・・もう考えたり言わないことにしよう。結果を待つのみ!」
 その通りなんだけどねえ・・・できれば、吉とでてほしいよなあ・・・・

 pm4:00

■ 病棟を去っていく看護婦さん・・最終
 私にとっては、彼女は去って行った看護婦さんの中では一番優しかったかもしれない。結婚退職である。彼女は今日の夜勤明けで、退職であったが、午後になっても病棟の仕事を手伝っていた。気立ての良い仕事のできるさわやかなお嬢さんである。そんな彼女だから幸福な結婚生活を送るこだろうし祈りたい。
 彼女のさわやかな素顔(マスクなし)が、遠い昔の面影とよく似ていたなあ・・・・
   
   pm5:00
   

 
治療最終日 2004年03月31日(水)

   あっという間の年度末。別に指す目には関係ないけど、1年の周期の感覚としては、年末年始よりこちらの方がしっくりくる。今日で今回の治療最終日、区切りもいいわなあ・・・と、縁起かつぎ。

 am 8:00 治療開始。
 ▲ カイトリル、ソルメドール
 ▽ キロサイド(生食400、キロサイド160)
   2時間で落とす予定。

 主治医との会話
  「どのくらいで骨髄抑制効いてきますかねえ?」
  「血小板上がり際に叩いたから、結構きつく効くかも知れないねえ」
  「上がりきった時より、効くんですか?」
  「出会い頭の一発、クロスカウンターの様なもので衝撃は倍増する可能性が高いんじゃあないの〜」
  (じゃあ。昨日の数値はすべてが見せ掛けというわけでもないのか・・・。よう解らんなあ・・・。

     am 9:00



★ 今朝より、右手に痺れが強く出だす。昨日までボールペンで何気なく字がかけていたのが、なかなか上手くかけなくなってきた、ミミズが這ったような字。パソコンのキーも薬指で叩くところは痺れが感じて、少し上手く打てなくなってきた。
 血圧も下が100近くに上がり始めて、そろそろ変調の兆しありか・・・・・。
 
  pm12:30


☆ 思ったより今日は、ダメージを受けてるのかもしれない。夕方より倦怠感ひどく寝る。。

  pm1000
右手のしびれ 2004年04月01日(木)

  今日から、新年度。昔は(といっても、学生時代や社会人になりたての頃は)、エイプリールフールのネタを頭をうんうんとひねりながら考えていたもんだ。さして、うけそうもないものばっかりだったが・・・。最近は、考えようとする気も起こらず、歳を感じる。まあ、病気をしていると、そういう気にもなりづらいけど・・・

 ★ 昨日からの手の痺れは、右手の中3本にひどく感じるようになり、左手の指もしびれ徐々に出てきた。私にとっては、一番嫌な副作用かもしれない。キーボードを叩きづらくなるのがつらい・・・・

 ◇ドクターとの会話
  「先生、今回順調みたい。熱も出てないし、吐き気も全然ないし・・・・」
  [1日で行くより、4日間継続で入れたのが良かったのでしょう。それと、ステロイドの量、多く入れてますから。」
ミニパルス療法というらしい。
 (ステロイドやはり多いのかあ....魔法のクスリ・・)

   am 9:30

★昼前、点滴の管を抜いてもらい再び首はフリー状態。うーん、やっぱり気持ちいい。てんで、構内の桜を見に行こうと、上の階に入院中のお友達(彼はリンパ性発血病であったが、去年寛開。今回は別の病気で入院されている)と、連れ立って構内に出たものの寒いわ、花は7割がた散ってしまっており、散々。で、帰ってくるとどうもお腹の調子が悪く、下痢。行く前に風呂に入った上子供よろしくお菓子なんぞを携えて、ピクニック気分で食べまくってきたから、腹下したのかなあ・・・
 もうすでに、4回・・・・

     PM6:30

☆ Gさんめでたく出所。おめでとう〜。
 完全無菌室で先日移植した、お友達Gさんが、夕方、無菌室をでて一般の大部屋にでてきた。やはり、この男は只者ではない。出てくるなりクスリを何本も吊っている点滴台を引っ張りまわして、なじみの患者どもへご機嫌伺い。ウソだろう・・・。不死身のGさん復活おめでとう・・・。

    PM 8:30
また右耳の下が 2004年04月02日(金)

   朝、血液検査。
 そろそろかな?と思ってたら案の定、また右耳の下が腫れ始める。気がついたのはいつもどおり朝食後。右手で触ると例のごとくこんもりとしたふくらみが出ている。(今度はいつ頃へこむかなあ)と思いつつ、とりあえず看護師に言う。主治医がやってきて「またですか?様子見てみましょう」と、毎回のせりふ。まあ、こちらも言っておこうという報告程度。そのうち、少し収縮して昼食後急に腫れてしまった時、偶然にもドクターが診察に。
 「結構、腫れてますねえ」とドクター。
 「そうでしょう?でも、直にすぼみますよ・・・」
 「そうですか?」と言いながら、私の頬を強弱をつけながら押して診ている最中、なんとその腫れは、空気の抜けた風船の様に急激にしぼんでしまった。

 「こんなのはじめて見た」と、ドクターの驚いた声。
  でも、たしか目は楽しそうだったなあ。

★ で、昼過ぎまではなんとなくいい気持ちで過ごしていたら、血液検査の結果が出て以後、ブルー

 腎臓の機能が落ちている、ということで点滴開始。
 ドクターによるとシスプラチンのせいであろうということ。当分の間、点滴で回復を・・・・

うーん、ここへ来て腎臓悪くするか?

 BUN 43 : CRE 1.5
白血球 4400 血小板 10.6万


  PM4:00


◎その後、腎臓の話で疲れがドッとでたのか、いつの間にかグッスリ眠ってしまい、晩飯のタイミングを逃す。
 ええい、今晩はフテネだあ〜

    pm9:00
しんどい 2004年04月03日(土)

  うす曇の朝。気分も重い。しんどい。寝る

am9:00

◆ 3時過ぎより、大分気分もましになり(いまのうちに)と風呂へ入る。出て(これも今のうち!)と洗濯。
快調やなあ・・・戻ってきたか?。
 腎機能回復のための、オシッコの排出量、思ったように伸びず・・・・。大丈夫だろうか?
 高校野球の準決見ながら、2Lのペットボトルの水を必死に飲むも大してオシッコでず。こんなんで回復するのかよ・・・・・。

◇ 昼より極端に食欲落ちる。夕飯の病院食は、2割ほどしか食べられず。元々旨くないから、気分的に落ち込んでくると食べる気がしない・・・。そろそろ、非常食でしのぎ始めるか?
 今日はうどんにしようか・・・・。TVキャビネットを開ければ、どんべえ、ごんぶと、まるちゃん・・・・・よりどりみどり。これって、選ぶ時結構楽しいんだよなあ・・・・

 PM8:00
食欲は 2004年04月04日(日)

  今日も、頭の重くなるような天気で、今日はお日様は望めそうもないかな・・・・・・。
 今朝も食欲なし。病院食拒否反応というのが出てるのかもしれない。果物と牛乳ぐらいは飲めるが、昨日一晩中、水飲んでいたから何も口に入れたくない気持ち。。
  
  am11:00

夕方ぐらいまでに、水を2Lほど無理して飲んだら腹具合が悪くなり、下痢。なんなんで?これは。シッコ出すために水飲んだら下痢かよ・・・・

 PM6:00
えっ、今日は4人で 2004年04月05日(月)

  朝、血液検査。クレアチニンが下がることを期待して・・。
 月曜日というのに、スタッフ不足は否めず、なんと今日は、 4人で回している。大学病院の病棟を看護師4人でさばいている。信じられる?それも中に新人が入って。当然レベルの差が激しいから、遅々として進まず、私の採血が終わったのはなんと11時ちかくになっていた。ひえ〜
朝の採血がだぜ・・・・・・。

◆ 白血球 2100 血小板 4.5万
  BUN 29 : CRE 1.4

★ 腎機能劇的に回復といかず・・・・・
 また、水飲みに励もうか!

pm6:00

◇ 主治医「朝採った血、固まってんだってよ!」
  ええかげんにしてほしいよなあ・・今頃

△ 今日から、3食ともパンに変えてもらうことにした。もうご飯は、あの独特な臭いと重量感で全く食べる気がなくなってしまったので、3食ともパンにしてもらうことにした。90グラム程度のパンダから、なんとでもして食べられるだろうから・・・・。これは前々回の入院の時から、最終的な選択としてしてもらっている。
これが、おかずが食べられなくなってきても意外とパンだけはどうにかこうにか食べれるから不思議。生来、ものぐさなのかもしれないなあ。。。

pm7:00
風呂に入ると 2004年04月06日(火)

  昨日から、血圧も下がり80前後で推移、腎機能の数値が気になるものの、水を飲むしかないのでのんきなもの。
 点滴吊るしてたものの,風呂へ入る。さすがにベッド周りの生活が長くなったせいか、湯船に腰を下ろすと足がやけに細くなったように見える。手で触ると、筋肉のない力のなくなった足がある。足というより太ももなんだけど。筋肉の落ち方というのは、思った以上に早いんだなあ・・・・

  am12:00

△ 毎週火曜日は、教授回診の日

 −毎週火曜日は、△△△△の日ー どこかで聞いた様な、聞きなれた響きだなあ。。。

 例のごとく、私は現状維持の旨を答えて私のお仕事終り。

 pm4:00

☆ 移植したGさん、今日えらい元気がないので、聞いてみると、後3ヶ月ここに居ろ!と言われたんだとか・・・。免疫抑制剤を使うと移植後のケアーの日数も相当かかるんだろうか?
 


主治医 down? 2004年04月07日(水)

  朝、血液検査。
 
-★どうも主治医、昨日の夕方からダウンしたようだ。
39度あまりの熱をだして、帰ったようで・・・・。
そういや、昨日の教授回診の頃から赤い顔してたなあ・・・。
 早く回復してくれないと・・・・・

 am 9:00

☆ 血液検査の結果
 白血球 1000 好中球 400 血小板 2.1万
 BUN 20 : CRE 1.4

 運良く今回は、輸血見送り・・・ 運良く?
AM12:00

◆どうも私の場合、白血球1000 以下、もしくは好中球500以下になり始めると 熱が出やすくなるようだ。pm3:00ごろから急に熱が出始め 5:00現在 37.4度。1ヶ月ぶりにオゾン君がベッド脇に。ついに臨戦態勢に入ったようだ。
 いつも思うんだけど、普通一般の人は白血球が1万近くあるわけなのに、私などがその1/10の数値で耐えていけるのだから人間の体というのは、不思議だよなあ。その上 500下がっただの300下がっただのとその少なさに耐えているようなものだから、何をかいわんやねえ。。。

pm7:00
 

主治医現れず 2004年04月08日(木)

    主治医の熱は引いたようで、今日から出てくるはずになっているのだが、姿見えず。まだ、ダウンしてるのかなあ・・・・
  ドクター「白血球の底は来週水曜日ぐらいかもしれない。」 (水曜日か?結構はやいなあ・・)
  ドクターによると、主治医は出てきてるのだがまだ本調子じゃないので、私には近づかないようにしてるらしい。接近禁止だねえ・・・

 am12:00

●ここんとこ、気温が高いので汗をよくかく。白血球は少ないが、ドクターに許可をもらってシャワーを浴びる。汗かいてたから、ナイロンタオルでごしごし。白い泡を一気に洗い流す。ひえーっ。強くこすったところすべてが内出血らしき赤い線の束。
 これは、すぐに出ねばと点滴台を持とうとすると、あれっ、点滴落ちてねえや..詰まってる...
バタバタして、出て看護師さんに点滴を直してもらう。内出血らしき跡を見て、彼女「あのねえ、ちょっとは手加減して洗ったら?」と呆れ顔。今、我がbodyは、ホルスタイン状態・・・とほほ

pm1:00  

☆彡 食欲は依然落ち続け、今のところパン食に変えてもらったものの、食べてるのは、パンと牛乳だけ。
そろそろ、生禁なんだけど・・・・
 ドクターとの会話
 「先生、サラダとか果物ぐらいは食べたい、あのシャキシャキ感だったら少々食べるかもしれない」
 「じゃあ、今のままでいきましょう。まあ熱が出だして生禁にしてもいいかも」
 ドクターは偉い。この先生は他の事でも、考え方に新鮮さを感じる部分が多々あり、その頭のよさと共に、私などは敬服しているのだが・・・・。
 で、今日の夕食は、パン、ハンバーグ、ラーメン、ひじき、しばづけ、ネーブル。なぜか、久々にほぼ完食。
 結局、食欲は気分的なものなのか?

pm 7:30
 

主治医は? 2004年04月09日(金)

  春の日差しをとっくに通り越して、日差しは初夏のよう。その日差しが窓越しにまぶしいぐらいに目に焼きつくようになってきた。 冬の間、ベッドで過ごした身にとっては、その明るさとあったかさに未来を感じる。移植近いかなあ....


 朝、採血。
 2.3日前から、外来へ替わっていった病棟の看護婦さんが、朝、夕方手伝いに帰ってきている。なじみの顔を見ると、ほっとする。新人ばかりだと完全にこちらの方がモルモット気分にされていたところだったので、大きな息抜きができた。

☆ミ 今朝も、主治医現れず。(どうなってんだろう? またぶり返したのかなあ・・・)

     am10;00
 
■ 採血の結果
 白血球 600 血小板 1.9万
 BUN 17 :CRE 1.3
今日はどちらでしょう? 輸血する?しない?

    AM 12:00

◆ なんと主治医復活。どうやら完全グロッキーではなさそうだ。でも、本調子じゃないみたい。当たり前か?

 私と少し距離を置きながら(ん?なんか距離あるよなあ。)
「腎機能も少しずつよくなってるし・・・・・。今日から、グラン(白血球を増やすクスリ)うちましょう」
 「えっ、もううつの?」「600きってんだから・・」
  「・・・・・・」「あっ、それとねえ4月から規則変わってね、注射看護婦さんがうつようになったから。。」「げっ!」(ここの看護婦って?今までずっと注射うってなかったよなあ・・大丈夫かいなあ)

    pm1;30

▼輸血をする?しない?の答えは”する”でした。
 明日から休みと言うこともあり、この状況でいくと血小板が1万をきるのは時間の問題と主治医が言うので、私としてはしぶしぶok.
とにかく輸血に関しては、不安なところが多いので私としては、極力回避したいのです。
 で、ただいま輸血中!

  pm5:00

★ 今日のメインイベントーー グラン射ち −−
 輸血中に グラン射ちと看護婦さんが来る。今日のメインイベントだから、輸血とは別にして欲しかったのですが・・・。
 来たのは誰あろう、なじみの看護婦さん(なじみじゃない看護婦さんて居たっけ?)
 彼女が、ご飯の椀の蓋を事前に開けておいて臭いをとると言う方法を考えてくれた人なのだ。
 彼女は注射器の入ったトレイを持ち、にこやかに笑いながら、「さあ、はじめましょうか?」と私に言った。
 「△△さんが、うつの・・・?」「そうよ、私、こう見えても手術部に居た時、注射うってたのよ。」と私の心を見透かしたように言う。
 しょうがないので、恐る恐る彼女にうってもらう。意外に上手いじゃない!痛くないし・・・
  「△△さん、ねえ今日何人目?」
  「うーん、今週に入って 2人目」
  「今週って・・・今日で終りだぜ・・」
  絶句する私をみて、彼女はいかにも楽しそうにケラケラとわらった。

 pm9:00


 
 
 


点滴つまる 2004年04月10日(土)

  週末になると、外泊や退院でガクッと入院患者数が減る。元々無機質な建物だから、人がいないとなおいっそうの無味乾燥さを感じてしまう。
(やっぱり、長くいるところじゃないなあ)

★昼前に、白血球が少ないのにもかかわらずシャワーを浴びる。また、点滴詰まる。馬鹿だねえー。毎回同じことするかねえ・・・・。で、今度は復帰できず、結局詰まる。
 ドクター
 「水、口から飲みますか?点滴分余分に飲むのだったら点滴止めてもいいのですが・・・・」
 当然、点滴止める方を選びました。

    pm1:00

★今日のグラン射ち
 今日のグランをうってくれたのは、新人といっても他の科から移ってきた看護婦さん。
 「××さんは、前のところで注射うってたよねえ」
 「大人の病棟にいた時は、私もうってたわ」
  (ん?彼女確か小児科から来たんじゃ・・・)

 「どちらにうちますか?」「昨日、左だったから・・・」「じゃあ、右ですね」と、彼女は私の二の腕にプツリ。少し間があってグランが入ってきた。痛い。昨日より確実に痛い。
 「痛かったでしょう?」「いやあ・・・」
 「あれ、アルコール綿がないわ」と、彼女のうろたえる声。「あっ、落ちてる・・・・」
 この先は、想像の世界・・・・・

 で、今日もまた、イベント終了

 pm4:00
 

パンの話 2004年04月11日(日)

   
 ずっと食欲がないからパン食にして、なんとか3食食べてる状況。で、出てくるパンというのは、ほとんど3食、食パン、それも薄くスライスしたもの。90gというけど、それほどあるとは思えない薄さ。
 そのまま食べるのは好きじゃないので、いつもオーブントースターで焼いて食べてる。骨髄抑制期に入り白血球も下がったので。食堂へは行かないようにと禁止令がでたので、しぶしぶベットで食べている。
 パンを焼くのを2.3日前から、看護学校出の新人たちに頼んでいるのだが、まともに焼けた事がない。真っ黒になったり、焦げ目がついてなかったり、色々である。 彼女たちは、家でパンを焼いた事がないのだろうか?驚きである。
 今の子は、(うちの子もそうだが)勉強の方は多少できるのかも知れないが、生活感というか生活臭に乏しいのかもしれないなあ。。

  am12:00

★水の話
 昨日から、再度水のみが復活したのだが、2Lのペットボトルを抱えてまわし回ってたら、いつも元気な若い看護婦さんが、黒いマーカーでペットボトルにサッと横線を入れ
 「今ここだから、寝る前までに1L。この辺まで目安で飲めば・・・」と、別のラインを引いてくれた。
 (なるほど!これだと目安が出来て飲みやすいかも)
 生活感がないのは、私のほうかもしれないなあ・・・

 PM3:00

■ 今日のグラン射ち
 今日、グランをうってくれたのは、新しく来た見るからにベテランふう看護婦さん。
 手際よく消毒した後、私が手に力を入れているのを見て
 「力を入れたら痛いわよ。私に注射されの怖いの?」
  「ベテランですか?」
  「私が1年生や2年生に見えます?」とむっとした表情。(あのね、そういう意味じゃないのよ。ブランクがあるかないかって聞きたかったわけ。。誰が見ても1年生や2年生に見えるわけねえだろ・・・・)
 注射を終えて。彼女はむっとした表情のまま
 「ベテランですか?なんていわれたのは初めてだわ」
 と不機嫌そうに去っていった。

 確かに今日までしてくれた看護婦さんの中では一番うまい。全然痛くなかぅた。ベテランだねえ・・

 PM4:00

★ ここ2.3日 夕方になると疲れてくるのか眠たくなり、2.3時間寝入ってしまう。相当体がまいってきているのだろうか? 起きて気づくとなじみの看護婦さんが明日の検査の予定を説明にきていた。もう7時前である。「あれ、今日日勤じゃあ・・・・」
  「そうよ・・・」彼女の顔には、少し疲労の色が見え隠れしている。よく働くよなあ。かわいそう。。
 相対的にこの病棟の看護婦さんはよく働く。新しく入ってきた人たちは別だが・・・・・。
 これは、サービス残業なのか?残業なのか? ちと、気になるなあ・・・

  PM7:00
 
同室だった人 2004年04月12日(月)

  朝、血液検査。

 昨夜か今朝、去年12月、私と同室だった人が逝ったようだ。リンパ腫か白血病かどちらか忘れたが、無菌室へ入るのを見送った。これで、私がここへ来て直接かかわった人で、亡くなられたのに遭遇したのは2人目である。1人目の人のことは、いずれ書きたいと思っている。彼には私なりに思い入れがあるので・・・・。

 結局、この病気は(どの病気も同じかもしれないが・・)、時間の経過と共に段々悪くなって死ぬか移植などウルトラ級の治療で治るのか、2つに1つしかないのかもしれない。彼も、「移植する、しない」という話を無菌室はいる前に、よくしていた・・・。が、移植することなく逝ってしまった。ご冥福を祈りたい・・。

  am10:00

★血液検査の結果
  白血球 1900 血小板 7.6万
BUN 16:CRE 1.3

腎機能は前回とほとんど変わらずあまり良くなってないようだ。
 好中球が少ないので、白血球の増えた数値は、見かけか?
 PM4:00

■今日は、念のためグランをうっておこうということで、うったのだが、イベントとはなり得なかった。

PM6:00

 
 


えっ、方針変更? 2004年04月13日(火)

  今日は、頭が重くてなかなか起きられなかった。白血球の上がり際のほうがだるいのかなあ・・・

■朝の診察で主治医
 「今回は、検査の結果をみて次の治療のことを決めましょう。」
 「次の治療って移植じゃないの?」
 「うーん、自家か同種か・・・・」
 「えっ、同種?」
 「今が、一番大事な時ですからようく検討しないと・・・」
 (ええっ、方針変更なの?・・・自家では駄目ということ? 可能性があるわけ・・)

 ガックリというか、不安が広がるというか・・・何とも言えずおちこむ。

am12:00

★ 今日は何の日? そうです、恒例の教授回診の日。
 教授に珍しく
「今日は、元気がないね」と、声をかけられる。
 1週間に一度しか診察がない教授にもわかるほど、私は落ち込んでるのだろうか・・・・
 ああ、ブルーだ!

 pm4:00
 


急激に上がる 2004年04月14日(水)

  朝、血液検査。
 白血球 12,500 血小板4.7万 HGB 6.9
 BUN13 :CRE 1.2

 白血球急激に上がる。グランの効果。それにしても急激に上がるなあ。血小板は若干下がり気味。輸血の効果が徐々に薄れてきたのかな?
 この数字を見ると、現金なもので朝から頭が重くてアイスノンをしてたのだが、いっぺんに元気が出てきて、ベッドから起きて、食堂へ飯を食いに行こうという気になった。どうしようもねえなあ、数字に弱いのは・・。
 オゾン君撤収
 am12:00


★ しんどいのは、たぶんHGB(ヘモグロビン)が下がってるから、ということで輸血することに・・・。
 赤血球の輸血は久しぶり。嫌だ嫌だといっても数値には勝てず、輸血せざるを得ない悲しさ。

腎機能は、なんとかぎりぎり合格点まで回復したようでひと安心。

   PM 5:00
 

もう、持病なのか? 2004年04月15日(木)

  朝食後、またもや右耳の下が腫れ始め、うんざり。もう持病になったのか
 主治医
 「うーん、害はなさそうだし、今つつくと言うのも何だし・・・・。看護師が毎回毎回言ってくるんだよねえ。今度もまた言ってくるだろうなあ」
 と、うんざりしたような困惑顔。
 本人も、これに関しては少し不安もあるし不可思議に思っているのだから、傍から見ればなお不可思議で困惑するだろうなあ。
 am9:00

★ 今日は検査もないので、あまりに暇なので久しぶりに競馬のこと
 桜花賞の話。
 レース自体は、ダンスインザムードの圧勝で、3角でまくりぎみに行った時には、完全に仕掛けが早いなと思ったのだが、なんのなんの圧勝で、ペースが遅いのかなと思っていたらレースはレコードで、ビックリ。さすが武というか、嫌な野郎だねえ。これじゃあオークスも楽勝か?
 でレースが、終わったあと気がついたんだけど、今年のJRAのCM、メジロラモーヌで「今年は関東馬よ」と言ってるようなもの、2着に来た馬はアズマサンダースで冠はアズマ。東ー東の組み合わせで良かったんだねえ。
 まあ、後の祭りだけどなあ。
 皐月賞は、どんなサインがでるのでしょうか?
 でも、続いてそんなサインはでないかも・・・・・

 PM1:00

▼血圧急に上がる。
 140−92
 別に変わったことをした覚えがないのに・・・

 pm2:00

■そろそろ、治療も大詰めになってきた。今回の結果によって、移植にストレートに行くかどうかをドクター、主治医は決めるようだ。
私としては、ストレートに移植に行って欲しいと願っている。
 それで、いままでの使用した薬剤をまとめようと思い整理したのだがどうもデータが不足、もしくは欠如していることに気づき、正確なデータをあつめることにした。
 それで、考えていると「薬剤のことなら薬剤師だ!」
と安易に思いつき、病棟担当の美人薬剤師さんにその事を恐る恐るお願いしてみることにした。すると、美人薬剤師さんは、こちらがビックリするほど心よく引き受けてくれ、私を喜ばせてくれたのです。
 この美人薬剤師さんには、こういう話があります。
 ある患者さんが、他の病院で患者さん言ったとか。
「ここの病院にはいい薬剤師さんがいるんですよ。おしゃべり好きの美人・・・・・」
 で、いつの間にか彼女はおしゃべりずきのいい美人薬剤師にされてしまったのです。
 しかして、その実態は・・・・・・

 もう、そろそろ私のデータ揃うかなあ。。期待期待。


pm7;00

 血圧 148−98
pm7:30
 血圧」 138−88
pm9:30
帰れるかな? 2004年04月16日(金)

  ★今日の予定
  朝 血液検査、ガリウムシンチ検査のための注射

 いつまで続くのであろうか、このサービスの悪さとフォローのなさ。依然として、スタッフ5人の抜けた穴は大きく、当分の間はどうしようもない状態が続くのだろうな....患者にとっては、えらい迷惑旋盤なはなしで、運営側の良識を疑ってしまう。

am10;00


■白血球7000 HGB 9,3 血小板 4.3万
 BUN 15:CRE 1.1

 入院生活が10ヶ月にもなると、結構我が儘になってしまう。血液検査の数値がまあまあの値になったので、突然外泊することにした。急だったが、主治医、ドクターともOKをだしてくれたので、昼から急遽帰ることになった。前回帰った時に、パソコンのマザーボードを焼いてしまったので中心部まででて、マザーボードを買って帰ることにした。最近、人ごみの中を歩いたことがなかったので歩くと意外に疲れてしまい、MBを買うなりそそくさと帰ってきてしまいました。

PM7:30

▼ 今週は、ずっと看護学校出の1年生が担当だった。
確かに養成という意味では、やむおえないのかもしれないが、患者から見れば、これほど面白くないものはない。こちらから気を配らねばならない事の方が多いので何のための入院やとおもうこともしばしば。中日は、まあベテランを置くとかしてもらわないと気分的にまいるし、危なくってしょうがない。

pm 11:00

 
 

朝寝 2004年04月17日(土)

  やっぱり家に帰ってくると、どことなく安心するのか、よく寝られる。久々に朝寝をする。病院では、頭が重かったり、体調が悪くて朝起きられないことはあっても、熟睡して起きられないということは、皆無。ボロ家でも心が休まるんだなあ。

  am 11:00

★ 昼から、ふくと近所の田んぼ辺りに散歩に出る。道々会う人ごとに、「その頭、どうしたの?」と聞かれる。説明するのも面倒くさいので「頭洗うのたいそなから、夏向けに剃った」と煙に巻くが、相手はいぶかしそう。30分ほど、臭いをかぎまわるふくに付き合って家にもどる。
  
   pm 2:00

■ 前回焼いてしまったマザーボードの交換を朝からやっていたのだが、何故焼けたのかわからないので、久しぶりにずーっと、インターネットサーフィン。あれやこれや調べまわっても確定的なことはわからず。電源とマザーボードをとりつけるスペーサーも交換。cpu,メモリーは動きそうなので、組み立てなおす。
 電源on(ドキドキするなあ・・)無事、始動(よかったあ・・・)。これで、ママにおこられなくてすむ、ウシシ。(ほっ!)

  pm7:30
 

今日、帰る予定 2004年04月18日(日)

  今日の予定
 午後8時ぐらいに病院に帰る(この表現が当たり前になってしまった)予定。ガリュームシンチ検査の下剤を飲むため。
 pm 12:30

★デムーロ・・・・。うまいなあ。完敗。皐月賞

pm4:00

■ 最近、病院へ帰る頃になると、雨にたたられる事が多い。今日も帰る頃には、ぽろぽろと振り出した。
 病院へ向かうタクシーに乗ったとたん大粒の雨が勢いよく降り出す。滑り込みセーフ!。以前、タクシーが拾えなくて病院まで歩いたことがあるから、この8時前後に帰ってくるのは、ビクビクものなのだ。まして、雨が降ってるとなると・・・・。
 帰るなり、ガリウムのための下剤を飲む。今晩もまた悩まされるなあ。。

pm9:00
 
ガリウムシンチ検査 2004年04月19日(月)

  今日の予定
 血液検査。ガリウムシンチ検査。

★ 今日も担当は1年生。今週もモルモット生活か・・
 ああ....

am 9:00

■ 血液検査の結果
 白血球 5000 HGB 8.7 血小板 5.5万
 BUN 13:CRE 1.1

10時にガリウムシンチ検査に行く。結果は明日になるんだろうなあ。CTは明日に回ったようで、できれば1日で済ましたかったのになあ・・

 PM 1:00
▼ 午後から急に熱が出始める。今までとは少し違う感じ。体全体が熱ぽく特に肺からお腹にかけて、カアッと熱くなり、汗がジトーと出てきた。体温計は、37.4度なので今までだとこのぐらいではそんなに汗も出なかったので少しおかしい..
で、看護婦を呼んだのだが、如何せん1年生ゆえ臨機応変な対応ができず、イライラしてしまう。何故自分で対応できない時は、すぐ上司に報告しないのかねえ・・・
そういう教育は受けてないのかねえ。
 で、私の信頼している看護婦さんを呼んでもらい、いつも代理で診て貰う先生に来てもらい、診察をうける。
(主治医2人は、今日はア○○○○で不在)
原因、症状共にはっきり解らず、様子見・・・・・

 PM4:00

★そうこうする内に、薬のデータを持って美人薬剤師さんが来てくれたので、熱の話を一通り話する。
 「家に帰って何か変わったことあった?」
  「ないよ・・」「うがいしてた?」
 「・・・してない・・・・」
 「ああ、たぶんそれが原因ね! しなきゃだめじゃない。。大事な時期なんだから!」
 と彼女は、やさしく微笑みながらも威厳のある口調で私をたしなめた。
 「ちょっと濃い目のイソジンでうがいをするといいわ」と軽く言って、帰っていった。

 (うーん、うがいのし忘れなのか?・・・)
 で、さっそく濃い目のうがいをする。単純やなあ・・

PM 5:00

▼ 今日の主治医
 外から帰るなり、いきなり私から体調不良を訴えられたものだから
 「様子見、様子見。○○先生に診てもらったんでしょ?別に悪いところなかったんでしょ?。37度であろうが何度であろうが、汗をかくときはかくから別に気にすることはないと思うよ。対処療法でいきましょう、対処療法で!」
 と、困惑気味にいいながら、私に胸を開けるように促した。
 (まあ、それしかないんだろうけど・・・)


 
CT検査 2004年04月20日(火)

  ■ 今日の予定
 CT検査 歯科受診

★ 歯科受診とCT検査が危うくバッティングしそうになって、歯科受診の方は、レントゲンを撮って、午後に回してもらった。
 CTは造影剤入りで撮影。今日はちょっと念入りか?。時間が長い。どうも胸、腹と胸から腹にかけての全体を撮っている様だ。

★午後から歯科受診。でも、火曜日は恒例の教授回診。
これもまたバッティングしないかとヒヤヒヤしながら歯科へいく。
 治療台に座るといきなり、女の医者か看護師かわからないが「歯茎の検査をする」と言い出し、その上検査後
口の中を掃除しなければ、と歯石採りをしはじめた。ところが、最初に診察もしないでやるものだから、12月に地元で詰めてもらったところを、超音波かなんかしらんが吹き飛ばしてしまいイタイイタイ。
 後で、出てきた医者が歯を抜かねばならないと言うが、事前に診察もしないでよく言うよ!まあ忙しいのだろうが、こちとらは、歯を治しに行ってるわけじゃねえからなあ。移植前の歯の状態を診てもらいに行ってるのだから、最初に診察とインフォームドコンセントが必要だろうが・・・。大学病院が聞いて呆れるわ!
 アホくさくて、そこそこに帰ってくる。

◆帰ると、まだ教授は回ってきておらずセーフ。
 いつもは、付いて来る筈の美人の薬剤師。今日は付いて来ず。敬遠したのかなあ..あまり無理言うから。。。

▼ 今日の主治医
 「昨日の、シンチはどうだったの?」
  「・・・・あのね、前にも言ったとおり、総合的に判断したいの。CTの結果も見てから..]
(だいたい、こういう歯切れの悪い時は、あまり良いことがない)
  「あした、あした」と言って、そそくさと私から離れていった。

◆ 今日のドクター
 昨日の急な発熱について
 「38度まで上がらない熱だったら、大して気にする必要はないと思う。まあ、2.3日様子を見てみましょう」


★ 今日まで、私がここの大学病院に転院してきて、早10ヶ月ちかくになります。その間、化学治療をした回数が、都合8回を数えます。そこで、治療内容と使用した薬剤のアラカルトを、当病院の美人の薬剤師さんにご協力いただき作成しました。HPにアップしてますので、興味のある方は覗いて見てください。

PM 7:30

今後の治療について 2004年04月21日(水)

  ▼ 今日の予定
  血液検査

★血液検査の結果
  白血球5100 HGB 9.6 血小板 7.6万
  BUN 17:CRE 13
腎機能の数値が悪くなった。月曜日には良かったのに。1日で変動するものなのか。ああ・・・

AM 11:30

◆ 主治医とドクターから今後の治療についてのお話がありました。

 CTとガリウムシンチ検査の結果は、はかばかしいものではありませんでした。ここ2.3回の化学治療の結果から、うすうす予想はしていましたが、プリントアウトした画像を見せられるとさすがにガックリと気落ちしました。
 私ですら、一目見ただけでお腹の腫瘍が前回3月の時点より、大きくなっているのがわかりました。ドクターは、気を使って「正確に測らないと大きくなっているかどうか解らないが、小さくなってないことだけはまちがいない」と言ってはくれましたが・・・・

 ドクターと主治医は、私の今後の治療について相当熟考してくれた様で、残る選択肢について詳しく説明してくださった。今の状態を、化学治療が効いたと判断するか否かによって、今後の治療の方向が決まります。

 一般的な解釈の仕方からいけば、たぶん元凶だと考えられている腫瘍が、こういうような状態になっている場合、『進行』と解釈され、同種移植の選択をとるようになるそうなのだが、ドクターは、他の腫瘍が消滅してるのだからまだ化学治療が効くというように解釈して
 「放射線治療でこの腫瘍を消滅させて、自家移植に行くのが今のところ最良ではないだろうか・・・」
 同種移植では、あまりにリスクが高すぎるのではないだろうかと言う意見である。

 私としては、ここまで来た以上ひきかえす気は、さらさらなく、元々2人の医師に賭けるつもりだったから、躊躇することなく、放射線治療から自家移植へと言うコースを選びました。

 段々と選択肢がなくなっていく寂しさに、病気を克服して生きる難しさをすこし感じてしまい天を仰ぐ。

  PM 8:00
 

to the future 2004年04月22日(木)

   さすがに、いつもは能天気な私でも、昨日は気落ちしてがっくり。8回も化学治療をやってきて、前の病院から数えるとTOTAL 16回。これほど、やっても癌は死なない・・・。正直言って、呆然としている。この回数の多さと費やした月日を考えると、癌と戦う無力さをふと思ってしまう。
 また、新たに挑戦していかないと駄目なんだけど、選択肢が狭まったことが悲しいし、それでも突き進まねばならない状況がなお気分を滅入らす。でも、治って社会復帰するためには、この高いハードルを越えねば・・。

 To the future と副題つけてんだから。。


pm 3:00

★ 落ち込こんでボーっとベッドに横たわっていたら、8時を少し回った頃、外来へ行った看護婦さんがスペシャルゲストを連れてきてくれた。
 辞めて行った採血のプロ。
 ビックリ!予想してなかっただけに驚きと共に嬉しさもこみ上げてきて大感激。なぐさめと勇気付けに来てくれたのである。ありがたい。
 わざわざ来てくれたんのだから、私も気分一新して頑張るぞ!

pm9:00