2004年2月9日から3月21日
6回目の化学治療と一時退院
3度目のR-MECP法による治療
no7
あれっ、ちょっと疲れやすいぞ 2004年02月09日(月)

  前回、帰ってきた時(年末から正月にかけて)から比べると、どうも大分疲れやすくなったような気がする。
前回、昼など疲れて寝るなんて事はなかったのに、今回は昼、なんとなく体がだるくベットへ・・・。
さすがに、ここにきて治療の回数の多さがでてきたのか?・・・・抗がん剤がずっときいたままになっているのかなあ・・・
天気が良いと 2004年02月11日(水)

  今日は、天気もよく比較的暖かかったので、愛犬を連れて久しぶりの散歩へとくりだした。こ一時間ほど近くの田んぼ辺りを巡って帰って来たのだが、お日様にあたって気持ちがいい。でも、病院暮らしが長くなってしまったせいか、息切れがひどく所々で休む始末。
 いつになったら、愛犬と走れる日が来るのかなあ・・
 


春一番 2004年02月14日(土)

  春一番が吹いた。もうすぐ春なんだなあ。外に出ても肌に感じる空気は確かにやわらかくなっている。
春の訪れと共に、病気も好転してくれれば・・・と
明日、再入院 2004年02月15日(日)

  いつも、そうなのだが再入院の前日というのは、どう云うわけか緊張気味になり、少し体調を崩す。今日も、昼から腹具合が悪く、下痢気味。カゼひいたのかなあ・・
 今度の治療は、どんなんだろう。ちょっと想像しづらい。移植1回前の治療って?。
 

久しぶりの病院は 2004年02月16日(月)

  昼過ぎ、息子の運転で病院に入る。今まで、あまり息子には運転させてなかったのだが、今後の移植を見据えて、家族の何らかのたしにでもなる様に、・・・・
 久しぶりの病院は、というより病棟は相も変わらず、どことなく冷たいようなそれでいて少し喧騒間のあるなんともいえない懐かしい感じを漂わせていました。
 「今回で、移植前治療、最後か!」と思わず声が出ました。入れ込むほどの気合が自分の中にできているのが、よくわかります。
 夜、ドクターが来て、世間話の後今回の治療についてお話を伺いました。
 「まあ、後2回ほど治療して、移植と行きますかねえ。ただし、今からする検査結果によりますけど。」
 (ええっ!、1回じゃないの・・・・)
 ガックリ!入れ込んでた魂は何処へやら・・・・・
 2回か?回数が増えるのが私の病状を如実に表しているのか?一気に気が滅入ってしまいそう・・・・・
ゆう
 明日から、血液検査、CT、ガリュムシンチ、胃カメラの検査

                PM 8:00
血管が・・・ 2004年02月17日(火)

  もともと、血管が浮き出てこず、探すのに苦労していたのだが、一旦休養をはさむとなおさら血管が中に入り込んでしまったのか、なかなか探せなくなってしまった。今日は、朝から、血液検査、ガリュウムの注射、CTの造影斉と立て続けに午前中3本。探すのに時間はかかるは、プツプツ余計なところに刺されるはで、イタイイタイ。マスマス先が思いやられる・・・。
 ドクター治療計画について
「1.2回目にした治療が一番効いているみたいなので、それで今回はいきます。」
「ということは、プレドニンも飲むんですか?」
「そうですね」
ああ、また苦労するなあ。血圧としびれに・・・・数え上げたらきりがない。
 血液検査の結果。血小板19.7万、白血球3500.好中球が900台なので、一応保留ということなのかな?
 治療始めるのに、好中球1000以上欲しいらしいから

               PM8:00
 

胃カメラ 2004年02月18日(水)

  久しぶりの胃カメラである。リンパ腫の最初の手術前に受けて以来、1年半ぶりぐらい。胃カメラは、かれこれ通算で7.8回ぐらい受けているのだが、私のもっとも嫌いで苦手な検査である。胃はパンパンに張るし、げぼげぼ戻すし、胃の中を行ったりきたりする時の管のこすられているような感覚がたまらなく苦手なのである。と、こういう話を主治医にすると、
 「麻酔かけて、寝ているうちにしますか?」
 「えっ、そんなことできるの?」
てな訳で、今回麻酔のお世話になることにしました。
 朝、点滴の管を入れてルートを確保。10時検査開始だったので10分前くらいから、普通にするとおりののどの麻酔とかをした後、診察台に上がり、麻酔薬を注射。
 「麻酔薬を入れましたよ。どうですか?」
その言葉を最後まで聞くことなく意識がなくなってしまいました。目が覚めたのは、 「細胞とりました!」の声と、ケーブルをこねくり回されてのどに違和感をかんじたときでした。もう抜くところだったので、のどのげぼげぼ感もなく、無事終了。
 非常に楽!らく! 次からもこれにしよう! 他のとこではやってないのかなあ。
 検査そのものは、異常なく心配するところもないということでした。

 しかし、麻酔には弱いなあ・・・病室に帰ってきたら
すぐ眠たくなって3時間ほど眠ってしまいました。
       
しかし、日本、やっとこさ勝ったなあ。ひやひや、ビクビクもんだなあ。
ふつうあのPKは、はずさんだろう・・・。線が細いなあ、やっぱり。へたすりゃ今日でワールドカップ終わってたのだからなあ・・・

             PM 10;00
 
 

新たなリンパ腫が 2004年02月19日(木)

  前回12月の治療後のCT検査で見つかったリンパ腫、気管支の周りを取り巻くリンパ節にわずかながらその兆候が見られたのだが、今回のCTで少し大きくなっているのではないかとおもわれる。と、主治医。前回の治療は、幹細胞を採る為のものゆえ、単一種の抗がん剤しか使っておらず、私のリンパ腫に対してはなんら効果がなかったとのだろうと主治医。
 ショックである。幹細胞が採れたと喜んだのは束の間
がんが成長していたとは・・・・・。約40日間の間に癌が成長していたと言う事実をどう解釈したらいいのだろうか?
 
                 PM6:00ようを

要は、効かない薬かもしくは治療を1ヶ月ほどしなければ、確実に癌は拡大しあちこちに転移して、瞬く間に私の命を奪うだろうということ。今までこういう状況だということを想像していたが、半信半疑だった。しかし、こうして紛れもない事実を目の前につきつけられると、まざまざと死との直面を感じてしまう。

                pm 10:30
恒例の首からの点滴 2004年02月20日(金)

  今朝、ガリウムシンチ検査。昨日の晩は最悪だった。
 リンパ腫が成長しているという話とガリウムの下剤で寝つかれず、半徹夜状態。
 ガリュウムシンチ検査で、昨日の話の裏をとるのかな? 
 恒例の首からの点滴を繋ぐのは 5回目。主治医も当人もなれたもので、最短6分で繋いでしまった。管入れから糸の縫い合わせ、生食つなぎまでtotal 6分ちょい。「新記録じゃあねえか!」と、2人で喜ぶなんとやら。傍の看護婦が呆れ顔。
 あすから治療開始

               pm10:30
治療開始 2004年02月21日(土)

  ここへ来て、初めての治療とまったく同じ治療をするという。全日程6日間。
今日はリツキサン。例のごとく前処理の薬、アレルギー止めなどの薬であるが、何故か私にとっては睡眠薬になるらしく眠くて眠くてしょうがない。他のことができなくなるので、これには閉口してします。
ああねむい。
              pm6:30
 



治療2日目 2004年02月22日(日)

  今日から、またステロイドのプレドニンの錠剤を20錠。朝13錠、昼5錠、夜2錠。血圧は上がるし、異様な食欲が出てくるから苦手なのである。
 点滴の方は、ラステット、ブルーなノバトロン、パラプラチンの3種を順次点滴。
 ラステットは口内炎がおこりやすいので、前回の治療の時からはじめたヒエピタをほっぺたに貼ってたら、主治医が「今回のは前回の7分の一の量なのでねえ・・・」とにやり。
 午後から雨が降り始め、夕方から雷が夜更けまでつづく。春雷というのだろうか?
 その雨の中、わざわざ高校の同級生だった女の子(?もうおばさんか?)が、会いにやってきてくれた。嬉しかった。昔の友達に会うというのは、青春時代がよみがえって来るようでなんともいえない気持ちになる。
 今 病室の中は蒸し暑く、体温も上がってるのじゃないかと思うぐらい体がほてりぎみ。夕食後、プレドニン飲んでるから夜は寝にくくなるかも・・・。まあ、昨日よく寝てるからいいか。
              pm 7:00
治療三日目 2004年02月23日(月)

   朝、血液検査。血管が硬くなって針を入れるときも痛いのだが、抜くときの方がもっと痛い。2.3ヵ月後はどうなるんだろう?この痛さ。白血球7,700、血小板22,5万。元気なもんだあ!。
 今日の治療は、ラステッド一剤のみ。例のごとく、ヒエピタを使用。これが意外と口内炎防止に効く。前回の治療で使用して口内炎ができなかったから、今回の様な軽いラステットだと、かるーく口内炎を回避できるだろうなあ・・・。
 今回の治療に入って大きな変化がある。今日現在、血圧が上がってない。プレドニン飲んでるので、血圧がいつもあがるのだが、今回は今のところ上がってない。どうしてだろう?
やはり興奮すると・・・ 2004年02月24日(火)

  昨日の日記に、この調子よさはどうしたんだろう?なんて書いてたら、今日、急に調子が悪くなった。原因ははっきりしている。興奮したから・・。大部屋の場合、どうしても、なんらかの感情の行き違いがあって、同部屋の患者とちょっとしたことでトラブルに発展し、すごーく感情を害することがある。
 ラステット剤を点滴しているときに、ちょっとしたトラブルに巻き込まれ、切れるほどではないが興奮してしまった。すると、どうだろう。たちまちのうちに体温は急上昇、血圧は一気にかけのぼり、体全体が疲労感におそわれてしまった。
 結局、午後になっても回復せず、順調に推移していると思った今回もまだまだ・・・・
 やはり、「興奮したり、怒ったりすると体に悪い」というのは、本当だったというのを痛感!
シンチの結果 2004年02月25日(水)

  今朝の血液検査の結果。白血球 9700、血小板 22万。
白血球が増えてんだよなあ・・・不思議。まあ、入れてすぐには効かんか?
 シンチの結果を聞く。気管支の周りのリンパ腫は、どうもガリウムを取り込んでいないように見えるらしい。CTの方が正しいのか、シンチの方が正しいのかよくわからないので、血液検査とあわせて診断したい。ということだった。一安心というより、益々不安感がつのる。
 画像診断といっても、今のレベルでは撮影位置とか角度による誤差などによる画像のあやふやさを修正して正確なものをつくりだすなんてのは無理なんだろうな・・・・。
 体調のほうは、昨日のがまだ尾をひき調子悪し。

 PM 8:30
治療最終日 2004年02月26日(木)

  朝、ラステット剤点滴。これで今回の治療予定は終了。
今回の経過。
1日目 リツキサン
2日目 ラステット ノバトロン(青い液) パラプラチン
3日目 ラステット
4日目 ラステット
5日目 ラステット
6日目 ラステット
 他 2日目より プレドニン1日20錠 5日間(朝13-昼5−夜2)
 6日間通じて比較的順調。一時感情的なことで上下するも現在は安定。
 昨日、白血球が上がって喜んで不思議といってたら、
ドクター「見せ掛けの値に過ぎない。プレドニンを飲んでいるので、欠陥の壁についていた白血球が血中に落ちて、それもあわせて計っているから、数値だけが上がっているのだろう・・」とのご教授。
 納得。別に白血球が増えて喜んでいたわけではないので、妥当な話で。
          pm 5:30
1週間ぶりに外へ 2004年02月27日(金)

  首からの点滴がのいたので、久しぶりに外へでる。天気がよく、ぽかぽか陽気で2月とは思えない。といっても、もう3月だった。何言ってんだか?ずれてきてんだろうか、ハハハ。
 今朝の血液検査。白血球 6500、血小板 21.1万
ドクターの解説とは裏腹に、白血球あまり下がらず苦笑い。数字の魔力と言おうかなんと言おうか数値がよければ、何となく安心してしまう。不思議なもんだ。本当はどうなっているか、わからないのに・・・・・
 

移植の予定日 2004年02月28日(土)

  今日、ドクターと話す。
 「後一度治療をして、さしたる支障がなければ、4月下旬に移植をしたい。」
 ついに、結論らしきものが示され、一世一代の大勝負へ向かうことになり、さすがにこの言葉を聴いたときは、気分がグーッと高揚して、なんともいえない気分になりました。「ついに、来たか・・・」と思わずつぶやいてしまいました。
 長い人生だったのか、短い人生だったのか、それとも長い人生になるのか、いや長い人生にするのか・・・・

  移植まで   あと 2ヶ月

             pm10:00
寝汗 2004年02月29日(日)

  ここんとこ、寝汗がひどく夜中12時過ぎごろから寝汗をかく。元来汗かきなので、下着は絞れるほどのあせ。やはりリンパ腫のせいか?気管支の周りのリンパ節が影響してるのだろうか?今年の2月は暖かいから、なおさら汗をかくのだろうか?
 明日から3月、ずいぶん暖かくなった。病室にいると外気の温度はわかりにくいのだが、窓から眺める空の青がいままでより明るくなって、暖かそうな空気が漂っている感じ・・・・。もう春なんだなあ・・・
 明日は、末っ子の男の子の高校の卒業式。父親が、こういう病魔に苦しんでるせいか、就職すると言って、あっさり。やはり親としてのふがいなさを感じ得ない。以前から親にはいわれていた。「親にしてもらったことは、子供にしてやらないと・・・順繰りなんやから・・」と。上の学校へやるのがすべてではないけど、親に無理して、教育をつけてもらっただけにわが身の力なさを感じる。結局、健康が何にも変えられないことを嫌というほど思い知らされる・・・・・
血液検査は 2004年03月01日(月)

  朝、主治医
「血液検査、週3回してたけど今週は2回、火曜と金曜にする。」
「なんで?」
「今のところ、経過は順調だから2回でも大丈夫。何かあればすぐ対応するから・・・・」
 てなわけで、いつもしていた月曜日の採血はお休み。
 体調は、すこぶる良好。
 


白血球下がり始める 2004年03月02日(火)

  126,461 byte朝、血液検査。白血球 1700 血小板 9,7万
白血球、急激に下がり始める。血小板も半分以下に下がる。今週末には1000きるだろうなあ。
主治医より禁足令がでる。「病棟内にいるように!」
 暖かくなって、外へ出頃だったのに、残念!
ただ、数字のマジックというかなんと言うか、数値を聞くと急に食欲が落ちる。
 中庭の梅をアップ。
ご飯が食べられな〜い 2004年03月03日(水)

  朝飯は、何とか食べられるのだが、昼飯、晩飯が食べられない。
 ここの朝飯って言うのは、朝飯といって呼べるほどの量もないし、メニューの種類もお粗末で、ご飯と味噌汁とふりかけと果物と牛乳。これを食べられないとなるとよっぽどの重病か、最初から食べる意思がないかどちらかだろう。だから何とか食えるのだが・・・。ただ飯そのものがまずい。ちょっと柔らかめに炊いているから食感がわるい。まあ入院患者の年齢の高い方に合わせて炊いていると思えば仕方ないか・・。
 以前、ここの栄養士とどこまで個別に対応できるか?ということについて話したとき、
 「千人余る入院患者を抱えているのに、一人や二人のためにメニューを変えたり食品を付けたりすることができない」と一蹴されたことがある。でも、これ逆なんだよなあ・・・。一人や二人の食事のフォロー、管理ができない者が、千人あまりの患者のフォローはできないと思うのだけど・・・・・。食えるかどうかってのは大事なことだからなあ。
 で、昼飯あたりから、このご飯の臭いが鼻につくようになり、ご飯茶碗のふたを開けた瞬間、ガクッとなるくらいに気分悪くなり、一気に食欲減退。晩飯になると、もう先入観で頭が拒否モード。
 今のところ、食欲はあるんだけどご飯が食べられない。間食、間食でなんとかしのぐ毎日。
 うまいご飯がたべたい!

 入院2週間がターニングポイントだなあ・・・・
                   pm3:00

 てなこと言ってたら、看護婦さんが、
「蓋を開けるときに気分悪くなるのだったら、先に蓋をあけてちょっと時間を開けておきましょうか?」
 目から鱗。そういう手もあったか・・・・・。で、一度試してみようということになって。
 うん、これが食べられるんだなあ、ほんと。少し冷めているけど、臭いもなくむかつきもなく・・・・・
 明日から、このパターンでいこうか?

                pm7:00
耳の下が 2004年03月04日(木)

   今朝は寒くて、ふと窓へ目をやると雪がちらほら。
寒の戻りか?2.3日は寒そう・・・
 朝食後、左耳の下に違和感を覚えたので触ってみるyと、例のごとく親指大のふくらみが・・・・。でもいつものように30分もすると急速に縮んで小指ぐらいの腫れに・・・・
 「またですか?白血球が下がりはじめると出てきますねええ・・。まあ様子みて、ひどくなるようでしたら抗生剤でも使って・・・」と、主治医。(又でも、何でも、出るんだから出るものはしょうがねえじゃないか)と悪態をつきたい気持ち。でも実際のところ、毎回に近いぐらい治療中白血球が減り始めると、どちらかの耳の下あるいは両耳の下がはれる。耳鼻科、歯医者ともに診てもらったけど異常なし。
 ドクターに言わせると
「唾液の腺に、小さい石かなんか詰まってなってるかもしれない。口の中から小さい石出てきませんでした?」

うーん、でも歯がとてつもなく悪いから出てきても、歯石やら食べかすやらその石やらどうやらわからないだろうなあ・・・・
「まあ、どちらにせよ移植前にきちっと診てもらいましょう」
 「はい」とうなずぎながら、軽く耳に手をやるとすでに腫れは跡形もなく消滅していた。
 
 なんのこった!毎回毎回!
 pm3:30
主治医は3連休 2004年03月05日(金)

  12,975 byte主治医は出張で3連休。
朝、朝食前と朝食後に採血、
 「なんで、2回もするの?」
「輸血のための血液検査は別にしないといけないから。主治医から採るように指示が出てますから」
と看護婦。
(輸血?どうして検査する前に必要だと解るんだよお・・・)
 でも、主治医の勘は当たってた。
白血球 600 ヘモグロビン 8700 血小板 18000
血小板の値が低いので、輸血決定。

          AM 11:40

 昼から微熱が出始め、少ししんどい。わたしは熱に弱く37度を越えた時点でダメージを感じてしまうので要注意。
 白血球が600ということで、オゾン君(と私だけが呼んでいる24時間連続殺菌装置)も毎度の事ながらベッドの横に据えられ、臨戦態勢はok!
私は基本的に輸血が嫌いだ(好きな人はいないかもしれないが)。でも、仕方ないからやっている。pm 5:30 より 血小板の輸血開始。8:00までかかってしまった。熱ではじめる。37,5度。私にとってはダメージが大きい・・・・・。白血球が600ぐらいで熱が簡単に出るようでは、移植したらどうなるんだろう。



 愛用のオゾン君をアップ

 
今日は しんどい 2004年03月06日(土)

  昨日の晩中熱が出、37.7〜38.0の間を行ったりきたり、朝のうち少し下がったが、現在は37.7.
 とにかくしんどいし、だるい。最近にはなかったことだ。どうしたんだろう?
       pm1:00

あまりのしんどさに、ドクター
「では白血球を増やす薬を注射しましょう。それと抗生剤の錠剤と・・。点滴までしなくても大丈夫だと思いますので。」
 で、グランを打ってもらう。でも、600に下がって 1日しか持たないというのは、今後不安だなあ。どうなるんだろう、移植したら・・・・
 結局、8時過ぎには38度を越え、とろーい解熱剤ポンタールをもらって寝る。
主治医帰る 2004年03月07日(日)

  「日記、見たわよ」
と言われ、一瞬ドキッ!
朝の検温の時の看護婦さん。「日記書いてるから見てね」と私から言ってた割には、ドキッ!とするほどの衝撃。読んでもらえるのは嬉しいのだけど、直接看護してもらう身としては心の中の一端をのぞかれたようで少し恥ずかしいという何とも複雑な気持ち。なら、最初から言うな!ってことか・・・・。でも、日記公開してるもんなあ。
 昨日のポンタールが珍しく良く効いたのか、朝の検温35.8.体が冷え切って寒いぐらい。寒いはずで病室から見える山は、雪の様。
 昼過ぎ、主治医現る。学会から帰ってすぐ来てくれたらしく、ありがたい。
 グランを打ってもらう。
               PM3:00
夕方から、また熱が出始め37.8度付近を浮遊。
今回は、すこぶる調子が悪い。なぜなんだろう?
確かに白血球が減っているから熱は出やすいのだが・。
ただ、以前熱が出てたときのように悶々とすることもなく、熱感も数字ほどはないように感じられる。
 感覚が変になってきているのだろうか?
            pm8:00
白血球下がる? 2004年03月08日(月)

  昨日の晩、結局のところ熱は37.6度前後の状態だったが、しんどかったのでポンタールをもらって寝た。
 不思議なことに、今まで聞かなかったポンタールが今回良く効く。どうしてだろう?体質変わったのだろうか?
 朝、血液検査。
 なんと白血球が下がってしまった。白血球400.ヘモグロビン 7.9 血小板 5.2万
 初めてである。グランを打って下がったのは・・・。
一昨日、昨日と打ってこの数字だから、体そのものが相当弱ってきているということか?
 とは言いつつ、グランを打ってもらう。
しんどさは軽くならず、だるい。
            pm1;00
今日は一日中、37.6度より下がらず頭も重い。これだけ治療経過が自分の予想とかけ離れてくると、blueになってくる。
 今食事は、生禁(生もの禁止)になっているのだが、これがここの病院の栄養士(というか組織)の頭のかたさを象徴している。私の場合、普通食の時ご飯は150gなのだが、何故か生禁になると200g.
別にこちらから指示したわけでもなく、自動的に200gになっている。不思議。メニュー形式が変わっただけでご飯の量がふつう変わるか?ましてや、増えている・・
 で150gに戻して欲しいというと、150gという単位は生禁にはないからできないという。オカシイヨナア・
 普通食にあるんだぜ、150g。おかしいよなあ。。。

 で、残してもいいから200gのまんまということになっているのだが・・・。
 どうして普通食のお膳から150gのご飯をとって私のお膳に置くといういとも簡単なことができないのかねえ、こういう施設は?

マニュアルばかりが幅をきかせ、臨機応変と言う言葉はすでに死語なのか・・・ なさけねえなあ・・・

           pm7:00
やっと熱さがるか? 2004年03月09日(火)

  昨日の夜、ドクター
「白血球の数値が下がったといっても、単球が増えてきているから大丈夫。すぐ増えますよ」
 現金なもので、こういうおいしい言葉を聞くと、効果覿面昨日の夜は37度前後で熱は留まり、朝には平熱に戻っていた。今日には、平熱に戻るかもしれない。
 朝食後、グラン打つ。
         AM10:00
毎週火曜日は、教授回診の日。午後からなのであるが、多数のお供連れていらっしゃる。常連の入院患者に言わせると、ほかから比べるとこの教授はなかなか丁寧に診てくれるとのこと。でも「調子どうですか?」と問いかけられても、返答に困ってしまう。世間話的に話すわけにいかず、傍に主治医もいるわけで、別に話すこともなくぼそぼそと「ええ、まあまあ・・」。それから診察してくれるのだが、私から発する言葉その言葉だけ。
 今日も、その言葉だけ発して教授回診が終わったのは4時過ぎ水戸黄門の再放送が始まるところだった。

 ドクターの言ったとおり、白血球が増え始めたのかもしれない。午前中、グランを打った後、37度まで上がったが、それからはずっと下がりっぱなし。体も大分楽になり、動きに軽やかさが戻りだるさもだいぶ消えた。
 今晩は良く寝られるかもしれない。。。
           pm8:30
 
疑似体験? 2004年03月10日(水)

  朝、血液検査。昨日から体の調子が戻って来始めてるので、朝の診察の時に主治医に「今日、3500ぐらいまで上がってたら近々帰らせてくださいよ。」と言うと、主治医「あのねえ、そこまで一気に上がると思う?無理だと思うけどねえ・・・・」
 昼前、口元に笑みを浮かべながら手に注射器を持った主治医が突如現れ、「白血球1600 残念でしたなあ!」
と勝ち誇ったように言い放ち、グランを打って行った。
 しまった!分母が小さかった(400)のを忘れてた。少し良くなるとこれだからなあ。
 血小板 30000.

 隣のベッドのGさんhttp://park3.wakwak.com/~photof/bangai.html
今、移植する前の前処置(と言うのかどうか知らないが)をしているのだけど、飲む薬は多いわ、うがいも多いわ、時間厳守で大変そう。私には到底できそうもないと思ってたら、ドクター「彼とは、全然違いますから・・・大丈夫ですよ・・・・移植はクリーンルームでもできますから」
何が大丈夫かよく解らないが、彼より軽く厳密でないと言うことが解り少し安堵。ふーん、完全無菌室でなかっても、自家末梢血幹細胞移植ってできるんだあ。。。
 ふーん。
       PM1:30


 白血球が上がり始めると、後は血小板が上がってくるの待つだけ。で、昼からは何もすることがなくなり、ボーっとしてるだけで、少し気落ち。

  pm9:30
 

いつ帰れるのかな? 2004年03月11日(木)

   外は、どんよりとした曇り空で春霞のかかった様な感し。こういう日は頭が重く気分の晴れない日が多いのであるが、今日は体調がいいのかすこぶる気分がいい。
 珍しく体温も、朝から36.5度から動かず少し驚き。平均して体温は高めなのでこの数字を見るのも久しぶり。
これだけ調子が良いのだから、そろそろ帰らしてくれないかなあ?と思い、主治医に言うと「4000まで白血球上げとかないとなあ・・・」と言って、またもやグランを打たれてしまった。
              pm4;00
ガックリ肩を・・・・・ 2004年03月12日(金)

  朝、血液検査。
 自分では、絶対に今日帰るつもりでそれなりの準備をしていたのだが、あにはからんや血小板が一昨日よりぐーんと下がってしまい、ガックリ。
 白血球6600 血小板18000
 帰るどころか・・・・。私の気持ちは一変に今日の天気と同じような、どんよりと重いものになってしまった。 
      pm1:30

 今日、隣のベッドのGさんが移植のため、完全無菌室入り。成功を祈りたい。
      PM6:30
体調は良いのだが・・・・・ 2004年03月13日(土)

  結局、昨日血小板の数値が20000をきっているものの、底だろうということになり、輸血をしないで様子を見ることになった。
 なんか、数値に振りまわされ虚しい。

          pm1:00
急に帰る 2004年03月14日(日)

   家のほうで、トラブルがあり急に帰らざるを得なくなった。昨夜急遽血液検査をしてもらったが血小板は、依然として増えておらず、退院というわけには行かず、外出という事で今日帰ってきた。外出といっても、所詮は患者にリスクがかかるのだから別に退院でもよいとは思うが・・・
 まあ、解釈の相違と立場の違いがあるからしょうがないか・・・
 朝5:30に病院を出て交通機関を乗り継いで帰る。
ずいぶんと空があけるのが早くなったものだ。6時には明るいオレンジ色の空が辺りを覆うようになっていた。珠には朝早く外に出るのもいいもんだ。
 で、今から病院に帰るが、今から帰ると相当遅くなるだろうなあ。帰ってきた目的の進展はあまりなく焦燥感と落胆の思いは強い。

   pm7:00
こういう日は、大体概して最後までついてない時の方が多い。帰りの高速バスが大幅に送れ、バス停からはいつもタクシーを呼んで大学病院までいくのであるが、今日に限って2社あるタクシー会社とも「すんません、車がないもんで・・・」と断られる始末。時間が時間だし、しようがないから歩くことにしたのだが、いつも車で5分ぐらいのところが、歩き始めるととおーい。とおーい。結局40分ほどかかって完走、いや完歩。病み上がり?ではなく病み中の体にはちとこたえたかもしれない・・・・
    pm10:00
 

今度は退院 2004年03月15日(月)

  朝、血液検査。
血小板 2.8万。血小板2万こしたら退院と言うことで、一時退院することになりました。昨日の今日で、複雑な気分。次回の治療は22日から。
 昨日の夜の散歩でパンパンに晴れ上がった足をひきずりながら、一路帰途についたのは昼過ぎ。
 我が家では昨日のトラブルがまだ尾を引きずっており帰ってる間に解決すれば!と願うばかり。

         pm8:00
今日は 2004年03月16日(火)

  朝から、デスクトップのパソコンの調子が悪くしようがないからバラス。電源がへたり気味だったのか、再度組み立て電源を入れた途端なにやら焦げる臭い。やべえ!と思ったが、もうすでに遅し。マザーボードをお釈迦に・・・・。
 ここんとこのツキのなさがまだ続いてるようだ。
なんとかせねば、とゴソゴソとパーツ入れから一昔前のsoket370のマザーボードとcpu,メモリーを乗せ換え、電源を換え・・・・ふうふう。最近、いじるの遠ざかっていたから腰が痛い。
 動くようになったものの、遅いなあ。
結局、丸一日つぶしてしまった。まあ、血小板低いから家にいるのが一番・・・・ということで

     pm600
やはり年なのか?今頃になって足のふくらはぎ辺りがパンパンに腫れ痛い。日頃から歩いてないからよけいに痛い。ずっとベッド周りだから、筋肉の落ちるの早いなあ・・。
     pm10:40
指を切ると・・・ 2004年03月17日(水)

  血小板が少ないと確かに血が止まりにくい・・・気がする。今朝、パソコンの中をいじっていた時、どうもpciのボードの角か5インチあるいは3.5インチのベイの角で引っ掛けたのか人差し指をスパッと切ってしまった。
 血小板が少ないという先入観が強いせいか、なかなか血が止まらないような気がして、冷や汗タラリ・・・。
実際は、5,6分ぐらいで止まってるので大した事はないのだが、どうも先入観が強すぎてあたふたしてしまう。
   am12:00

突如として友人よりtelあり
 「最近、文句が多いのと違うか?。文句ばっか書くな!チマチマとどうでもええ事を・・・。医者が頑張って治療してくれるとかきれいな看護婦がきたとかいるとかそういうのを書けよ!」
 うーん、確かに、ここ最近文句ばっかり書いてたような・・。大分そちらの方に偏ってしまったかも。
 どういう場合も、感謝の念を忘れずに! て事か。
        激反省!
 そうなんだよなあ...明日からは、観点を変えながら病気に対して前向きに書いていきたい。といっても、言いたい時もあるんだよなあ。

  pm6:30
少し寒いと 2004年03月18日(木)

  今日は小雨交じりのどんよりとした天気。公立高校の入試の発表の日で、最近、というより私の記憶の範囲ではこういうあまり天気の良くない日が多い。我が家は高校のすぐ隣なので毎年この日は10時前ぐらいから、制服を着た中学生がにぎやかに集まって、ワイワイガヤガヤとやかましくやってくれる。
 今年は受験生と定員が同じだそうで、親も安心だと思いきや、昨日会った知人の奥さんなどは「でも、落ちるかもしれん。全員通してくれるとは限らんでしょ?」と真顔で言う。親とはどこまでも心配するもんだなと思ったが、そういや俺もそうだったなあとくすりとおもわず笑ってしまった。
 今日のように少し寒いと手の先が紫色になってしびれる。病院にいる時は暖房しているせいか、そういうことはないのだが、家に帰ると寒い朝は必ずなる。血行が悪くなってるのかなあ・・・・・

        pm2:00
愛犬ふく 2004年03月19日(金)

   今日は、朝から暖かく私の日課である愛犬の散歩も楽。愛犬の名は”ふく”4歳のメス。柴犬とシェットランドシープドッグ(?)の雑種。?がついているのは実際はオスがどの犬かわからないから・・・。
 名前は我が家に来た時「福が来ますように・・・」と、ふくと名づけたのであるが、本人には福が来たようで毎日、食っちゃあ寝、食っちゃあ寝でいかにも楽しく過ごしているみたい。それにひきかえ私を含めて家族にはそれらしい兆候すら見えず、うらやましい限り。
 移植の日辺りには、たぶん私にも福がまとめてドカッと降り注いでくれるのではないだろうかと期待している。
     pm5:00  
反動か? 2004年03月20日(土)

  朝から小雨交じりの雨。そのせいか頭が重くしんどい。帰ってきて以来精力的に動き回った反動か?。
そろそろ抗がん剤の効力もきれて来る頃か?すでにきれてるのか?
          pm12:00 

家に帰ってくると、そんなに懇意でない人にも「どうですか?体の方・・・」とよく言われる。べつに今に始まったわけではなく、入院当初から言われていたが、さすがにこの時期になると、(もう、そろそろ言うか!)と言う気持ちになってくる。入院当初の頃は、病気の重さに多少の後ろめたさもあり(何故か、少し後ろめたいんだよなあ、これが)口を濁していたが、ここまで来ると開き直りかもしれないが、今の病状を素直に言ってしまう。やはり、段々と死と隣りあわせということのプレッシャーだろうか?。今言ってないと、本当に戦ってるのか?という不安感があるのかもしれない。

          pm600
墓参りも・・・ 2004年03月21日(日)

  今日も天気が悪く、昼になっても肌寒く墓参りに行くつもりだったが、気乗りせずエスケープ。カミさんと子供に代参を頼む始末。ここ2.3日の怠惰さはどうしたんだろう?。どうも体がだるくて気落ちと言うより気乗りがしない・・・
 pm3:00